カンバンの手帖ブログ版0349

2017年05月10日
 信長取材がらみで、清洲城のほかに大高駅のすぐ東にある鷲津砦跡にも久々に行ってみました。今川方だった鳴海城-大高城のラインを分断するため信長が丸根砦とともに築いたもので、桶狭間の合戦の前哨戦が行われたとかいう話です。

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 木立の生い茂る小山の中に史跡碑や大正4年建立の「表忠碑」がひっそり立つのみ。眺めも悪く、というか木ばかりで何も見えず、戦国マニアでもない人には面白さがわからないようなところです。わたくしは戦国マニアではないので、特に面白いとは思えず…。

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 いちおう「鷲津砦公園」となっており、不等辺三角形の凝った(ようなそうでないような)案内板が設置されております。この案内板の現在地表示がちょっと面白かった。

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 ゲームウォッチのような人型が描かれているのであった。
(まさ) 
名古屋雑 | Comments(0) | Trackback(0)

THE 分断

2017年05月05日
 少し前、とある取材で何年かぶりに清洲城の界隈をウロチョロしてみました。

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 城の最上階から眺める濃尾平野。新幹線の見物スポットとしては最上級ではないでしょうか。
 清洲城の遺構はほとんど残っていないということですが、そもそも清洲城は、いま天主閣が建つ場所ではなく五条川の右岸にあったといい、東海道本線と新幹線で分断されています。今回初めて気が付いたのですが、城跡に整備された公園は線路を挟んで南北で名称が異なり、公式には別モノ扱いになっています。

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 線路北側(朱塗りの大手橋の正面)は「清洲古城跡公園」。清洲城址碑、祠、土産販売&休憩施設があります。

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 線路南側は「清洲公園」。昭和11年に建てられた.“26歳信長・桶狭間へ出陣するの像”があります。左は濃姫像。石柵付きの信長像と違ってなんか取って付けた感があると思ったら、平成24年に移設されたらしい。清須市HPの清洲公園の項には「桜の名所としても知られ、市民に親しまれているこの公園は、『始まりの地~二人の愛と希望の丘』と称し、夫婦円満、恋愛、立身出世、必勝祈願のパワースポットとなっています」とある。いやはや、どうも…。
 案内板によると、清洲公園は大正11年の開園。信長への贈位(正一位)の記念に旧清洲町により建設されたとのこと。

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 園内を歩いていたら、第二次大戦、日露戦争、西南戦争の忠魂碑など、戦争関係の石碑がずらっと並べられた一角があって驚いた。旧新川町役場、旧春日村役場にあった忠魂碑も、合併後の平成17年にここに移転されています。案内板に「清須市の一体感の醸成にも資することから、旧町の碑を清洲公園に移設し…」とあるのが引っ掛かります。マニアとしては、石碑は最初建てた場所にないと意味がない、と思うのですが。

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 オマケ。天主閣から名古屋方面を望む。ディーゼル機関車が一両でモタモタ走っているのが見えます。
(まさ)
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押忍!摩崖仏

2017年05月04日
 大鷲院のあと旧東加茂郡の山の中をフラフラしていたら、旧旭町の押井でも摩崖仏に遭遇しました。

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 県道490号沿いに樹齢三百年超という欅の巨木がそびえており、その根元の石に彫られています。

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 二体あり、手前は地蔵、奥は俱利伽羅明王。文久3年(1863)の造立で、大鷲院と比べるとなかなかの大モノ。
 案内板によると愛知県に摩崖仏は大鷲院と押井の二か所にしかないとのことで、数時間のうちにたまたま二つとも拝むことができたので、特に話題は広がりませんがアップしてみました。

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 ちなみに押井はこんなところ。実に東加茂郡らしい雰囲気の小集落です。このあたりを車で走り回っていると、似たような風情のところばかりでどこを走っているのかわからなくなります。
(まさ)


所在地はこの地図の中心
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)

カンバンの手帖ブログ版0348

2017年05月02日
 その大鷲院は旧足助町も推していた観光名所だったようで、旧町時代の名残のカンバンがいくつも残っておりました。

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 文化財保護委員会による案内板である。

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 観光協会による案内板である。書体が微妙に異なっていますが、細い字が昭和らしくていいですね。あと、カンバンじたいの材質(アクリル?)と色も昭和らしい。

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 このような啓発カンバンを出すほど、昔は観光客が多かったということでしょうか。

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 中学生が美術の授業でポスターに描きそうな木の表現。

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 これは大鷲院でなく、近隣の玉野町で発見。手書きっぽい文字、ワイルドな矢印、取ってつけたような標語、そして足助町章と、すべてにおいて味わい深い逸品である。
(まさ)
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彫られてKO-BO

2017年04月30日
 先日久し振りに足助方面へ取材に行きまして、その途上、国道153号沿いの新盛にある大鷲院に立ち寄ってみました。

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 国道153号からもよく見える立派な山門を備えた古刹です。国道はよく通るのにいつもスルーしてしまい、来るのは12年ぶりくらい。
 背後の山にはそのむかし、奈良の大峰山を写した“プチ修験道場”が設けられ、今はそこに遊歩道が整備されています。そこでは弘法さんの摩崖仏が見られるというので、参拝ついでに見に行くことに。

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 ほんの少し登っただけなのになかなか険しい道で、楽しい。しかし磨崖仏はどこに?目を凝らして巨岩をよーく見ると…

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 おお、意外にささやかな…。円の中に薄く彫られており、ハンコのようです。

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 こういうのが88あるということなのですが、ご覧のとおり風化が進んで全部見つけるのが難儀そう。上まで登るともっとたくさんの磨崖仏が見られ、他に「怪猫の足跡」というわけのわからないものまであるようでそそられるのだけれど、ついうっかりサンダルで来てしまったので(どういう取材だ)、今日のところは入口をさらっと見ただけで引き返した次第です。
 それにしても最近は更新頻度が低いのに、石とか像とかが続く…。
(まさ)
西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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