丸山VS四谷、千枚田対決

2017年10月11日
 尾呂志の集落を眺めた後は、風伝峠を越えて旧紀和町(現熊野市)へ。和歌山県・奈良県と境界を接する奥深い土地で、丸山千枚田が有名です。

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 山道を抜けると、目の前にどーんと広がる丸山千枚田である。ここも13年前の某誌の取材以来。前回は同行者が多くて落ち着かなかったので、ようやく自分のペースでゆっくり見物できて嬉しい。

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 ちょうど今日(か昨日)から稲刈りが始まったようで、千枚田の下の方では黄金色の稲がザクザクと刈られておりました。

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 千枚田の真ん中あたりには巨石もデンと剥き出しになっていたりして、いいアクセントになっています。写真は、その巨石の少し上にある展望休憩所から撮ったもの。本日はお日柄もよく、数人の老アマチュアカメラマンがおりました。

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(新城市四谷 2017.05.07)

 さて、千枚田といえば三河の人間にとっては「四谷千枚田」。比較してみて気が付いたことは

・丸山は比較的斜面がなだらかで、その気になればもっと横に田んぼを広げられそう。対して四谷は山に挟まれて狭く、上に向かってすぼんでいる。
・丸山は畔が土で草に覆われている。対して四谷は石垣。
・丸山の方が田んぼ一枚の面積が小さい(もしくは幅が狭く横に長い)
・全体的に見ると、四谷は荒々しく、丸山はゆったりした印象

といったところでしょうか。まあ、どちらも美しいのは同じで、比較しても何の意味もありませんが…。

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 千枚田から4キロほど下ると、旧紀和町の中心地区、板屋。ここはかつての鉱山町で、整然とした街区になっており、町はずれにの山腹には選鉱場の遺構があります。「紀和町鉱山資料館」もあるのですが、13年前は来る時間が遅すぎて見学できなかったので、念願かなってリベンジだ!

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 ところが、その日は月曜で休館日だったのでした。う~ん、また来ないといかん…。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0355

2017年10月07日
 その取材の目的地は和歌山県の熊野本宮大社だったので、阿田和駅から山へと分け入り、丸山千枚田と瀞峡を経由して現地へ向かうことに。阿田和から県道62号御浜紀和線をぐいぐい走り、20分ほどで尾呂志という集落へ。

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 熊野古道伊勢路のルート上にある「風伝峠」の東側にある集落です。尾呂志はおそらく「颪」の意味。秋から春の寒い時期に山に巨大な朝霧がかかる「風伝颪」という現象がが見られる…と熊野古道関連の資料やサイトで必ず紹介されています。
 実は13年前、某省の地方局が発行していた広報誌の取材で(などと書くと大きい仕事のように思えるけど、実際は「玄孫受け」仕事という最下層ランク)、東紀州の熊野古道沿道を大雑把に車で回った際にこの集落をかすめたことがあります。地形的に地名的にも絶対にいい集落ではあることは間違いなく、その取材の時にぜひ寄ってみたいと思っていたのですが、一緒に行った人たちから「ハァ?」ってな感じでスルーされ泣く泣く通過したという悲しい思い出があります。

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 その尾呂志をようやく歩くことができ、感慨無量。坂道に連なる家並のこの味わい深さはどうだ、当時の関係者たちよ!まあ、一般的にはわかりにくい味わいなので、寄ってもらわなくてよかったかもしれません…。

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 ただ、当時立ち寄っていればもう少し営業している店に遭遇できたかも。橋の向こうに見える農協の支店も廃止されて久しい模様。

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 壁にはこのようなカンバンが。葬祭は農協の主力事業のひとつですが、仏壇販売の仲介をアピールするカンバンは初めて見た。右のかすれた方は津の一身田にあったらしいAコープ家具センター・呉服センターのもの。
(まさ)
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戦前築の駅舎に見られるタイルの脚絆的装飾法

2017年10月06日
 8月末にとある取材で熊野方面に行きまして、ゆとりのあるスケジュールだったので紀勢本線の熊野市~新宮間の駅舎チェックができました。JR東海管内の辺境なのでまだ古い駅舎がいくつか健在だったのは何より。
 そのひとつ、御浜町の中心部に位置する阿田和駅。

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 昭和14年築の駅舎です(開業は昭和15年)。紀勢本線の他の途中駅よりも一回り大きく、利用客が多い準主要駅的な扱いだったことが伺えます。

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 注目したのは建物の下部。味わいのあるスクラッチタイル(→●□)が施されており、靴下か脚絆のよう。この装飾があるだけで駅舎の重厚感がぐっと増す感じです。ついでに言うと、玄関に取り付けられた2号ポストもいい。

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 この装飾は建物の外周りに施されているのですが、付属の便所を覗いてみたら手洗いのところにだけタイルがありました。

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 もうひとつ、御浜町の北端に位置する神志山駅。珍しい入母屋造りの駅舎。

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 ここの下部装飾はスクラッチタイルではなく、異様に横長で土管みたいな風合のタイル。入母屋じゃスクラッチタイルが合わないと考えての採用かもしれません
 これらを見て、天浜線の気賀駅の駅舎下部に施されたタイル装飾を思い出しました(→●□)。あちらは昭和13年の築。この時代の駅舎建築の流行りだったのでしょうか?
 で、これらの駅舎タイルが常滑製であると証明できれば、知多半島のローカル媒体用に記事が一本できるのだが…。
(まさ)

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(2017.10.07追記)
 13年前に撮影した阿田和駅の写真を見たところ、駅舎の前に植樹があって建物左半分の殺風景な部分がうまい具合に隠されていました。

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(2004.09.17)

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カンバンの手帖ブログ版0354

2017年10月04日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタで、茨城から無地名に戻ります。
 無の付く小字はなぜか旧足助町にやたらと多く、おかげで久しぶりに足助の山間部をあちこち徘徊することができました。そのうちのひとつ、「影無」のある小町。



 「こまち」と読むと山下久美子の「赤道小町ドキッ」を思い出してしまう世代ですが、「こちょう」と読みます。
 矢作川支流の阿摺川沿いにあり、なんでこんな山の中の小さな集落が「町」なのか疑問を抱かずにいられません(古城の転じゃないかと思いますが由来不詳)。一部マニアの間では、旧旭町の万町(まんじょう)、旧額田町の千万町(ぜまんじょう)とともに「新三大・町場でもないのに町が付く西三河山間部の小集落」と称されております(ウソ)。

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 メジャーな見どころは特にありませんが、とりあえず例によってHINOMIが!細身で先細りのいささか軟弱そうな造りで、旧足助町でよく見かける形状なので一部マニアの間では「足助型」と呼ばれております(テキトー)。

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 で、豊田市山間部の旧町村でお馴染み、集落ごとに設置されている駅名標型キャッチコピーカンバン(→●□)。ローマ字表記すると、なんだか中国の地名っぽい。
 キャッチコピーの「明るい元気な 山里」とは、シンプルというかかえって大胆ですが、行政から「豊田市合併にあたって村ごとにカンバンを作ことになったから何か考えてネ!」と言われた地域の皆さんが、これといったネタもなく困った挙句に出したような…。もっともこの駅名標型カンバンの文言は、半分以上はそういうのですが。

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 あと、字影無。木製の電柱がシブすぎる。

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 よく見るとこんなプレートが取り付けてあった。昔、テレビの難視聴地域にNHKの関連会社が設置した共同受信施設の専用電柱なのでした。
(まさ)

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稀勢の里の故郷にある常滑の陶製品

2017年10月03日
 シャトー牛久の展示品にはこんなものもありました。

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 旧醸造場の発掘調査で出土した焼酎瓶で、案内によると常滑製とのこと。なぜ常滑産と判明したかというと、上部に「𠆢き(ヤマキ)」の刻印があるから。これは常滑にあった柿田製陶所の屋号です。おお、またも自分の本拠地のネタが!
 と一瞬色めき立ったものの、この形状の焼酎瓶は常滑で擁壁や土留めとしてあまりに見慣れ過ぎているので、岡崎産狛犬ほどの衝撃は正直ありませんでした。ここではケースに収められているけど、常滑に行きゃ現物を好きなだけ触れるし(個人の感想ですが、常滑の土管や焼酎瓶の特色のひとつは触った時の心地よさだと思います)。
 ところが先月、知多半島南部のローカル媒体のマニアックな取材で擁壁や土留めに転用された陶製品の刻印を片っ端からチェックしていたら、柿田製糖所の焼酎瓶が集中している場所を発見。

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 場所は山方町二丁目。リクシル常滑東工場(INAXライブミュージアムの向かい)の南西あたり。

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 「𠆢き」の刻印のオンパレードで驚いた。文字入力してみると

きききさききききききききききききききき
きききききききききさききききききききき
きききききさききききききききききききき
きききききききききききききききさききき

という感じ(オオゲサ)。
 調べてみると柿田製陶所は、江戸時代初期の創業とされる常滑屈指の古い窯屋で、焼酎瓶の大手メーカーでした。工場もこのあたりにあったようです。そんな常滑陶業史に燦然と輝く超老舗の製品が、日本のアルコール史における超重要醸造元で使われていたというのは、やはりすごいことです。

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 ついでながら焼酎瓶の擁壁といえば、やきもの散歩道の「土管坂」の南面がもっとも知られていると思います。この擁壁は、すぐ上に住んでいた大工さんが拵えたものだとか。

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 ここは、最後まで焼酎瓶を作っていたという「𠆢文(ヤマブン)」の密集地帯。土管坂のやや南にある山文製陶所という窯屋の製品です。文字入力してみると

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(まさ)
知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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