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  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフ。 米原市内にはもうひとつ、旧坂田郡近江町の玄関口にあたる北陸本線の坂田駅があります。近江町の玄関駅というか坂田郡全体の玄関駅のような駅名ですが、これは所在地の旧村名である旧坂田郡坂田村が由来です。 坂田村は、昭和17年(1942)に法性寺村と日撫村が合併して誕生したもので、昭和6年(1931)の開業当時は法性寺駅という名前でした。駅は昭和15年から29年まで休... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフ。 米原駅の片隅に近江鉄道が乗り入れているのは御承知の通り。まさしく「間借り」の形で、広い駅のすみっこで電車も肩身が狭そうにしています。しかし、昔は独立した駅舎がありました。(1995.01.04) ただし、駅舎といっても外から入れる玄関はなく、国鉄/JRの構内を通らないと乗り場に行くことができない構造になっていました。基本的に国鉄からの乗り換え客しか想定しな... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフで、米原駅の続き。 昔の米原駅で僕が好きだったのは、各ホームに設置されていた洗面台です。かつて長時間停車や乗り換え待ちの間に、乗客が顔を洗ったり口をすすいだりするためのもので、どうしたわけかホームごとにデザインが異なっていました。(1997.03.30) 1番線の洗面台。このホームは片面だったので、これだけ背中は壁です。(1997.03.30) 2・3番線の洗面台。今か... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフ。今回は米原駅。 米原駅は90年代後半の大改造によって構内規模が縮小されてしまい、面白味のない駅になってしまいました。末期の雰囲気を知っているので、現状は実に寂しい限り。今も乗り換えで利用するたびに、昔はよかったなァ…と年寄じみたことを思ってしまいます。 しかも一昨年の5月には駅前に市役所新庁舎が開庁したのにも驚きました。 米原の表玄関は東口で、役場も... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフ。柏原の次の近江長岡駅(→●□)の今昔は以前書いたので飛ばしまして、醒ヶ井駅。 醒ヶ井の現在の駅舎は昭和33年(1958)の築ですが、平成14年(2002)、前面に壁みたいなものを取り付けて、今風(?)の外観にしました。今風といっても20年前ですが…。また、駅舎内の改装と増築、バリアフリー化も施され、「さめがいコミュニティーセンター」が同居する形になっています。(20... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフ。伊吹山麓の大阪セメントの写真つながりで、湖北の駅関係の古い写真をいくつか。 湖北には現在14の駅があり、本書にはそのうち9駅の古写真を掲載しています。 滋賀県で最東端に位置する柏原駅はこの写真を掲載。昭和35年(1960)撮影の木造時代の駅舎の写真です。駅舎の写真というか、駅に降り立った浄土真宗の高僧の写真ですが。 木造駅舎は昭和46年(1971)に取り壊され... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフで、昨日の続き。 平成15年(2003)に閉鎖した住友大阪セメント伊吹工場の跡地は、5月初旬現在このようになっています。 なんと、跡地にあった全ての遺構が一掃されてしまいました。(上=2022.09.28、下=2022.03.27) 「長浜・米原の100年」の制作で湖北に通っていた昨年のうちは、まだ巨大煙突と廃墟めいた施設の遺構が残っていたのですが…。(2003.01) 稼働していた頃... 続きを読む
  •  樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→●□)のスピンオフ。 伊吹山麓の廃線といえば、東海道線旧ルートのほかに近江長岡と春照の住友大阪セメント伊吹工場を結んでいた約3.7km専用線があります。昭和27年(1952)から平成11年(1999)まで運行され、工場も平成15年(2003)に閉鎖されています。(「1:25,000関ヶ原」昭和63年修正測量、平成元年発行)※クリックで拡大します この廃線跡については14年前に少し書いたように(→●□)、... 続きを読む
  •  昨年9月に樹林舎から発刊された「長浜・米原の100年」を制作したことを、半年前に読書ブログやインスタで告知しましたが(→●□/●□)、その制作期間中(2~8月)に拾った滋賀県湖北地方のネタは、機を逸してインスタ(→●□)に少しアップしただけになってしまいました。今さらですがここで少しずつ出していこうと思います。 さて、西濃在住の僕が長浜中心部方面へ取材に行く時はたいてい、国道365号~県道37号中山東上坂線を通っ... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」78号連動ネタの道路元標ばなし。 八名郡七郷村や東加茂郡賀茂村は、小さい集落を寄せ集めて一つの自治体にした例ですが、それとは逆に、小さい集落なのに一つにならなかった自治体もあります。それは、現西尾市東部の茶臼山山麓にあった幡豆郡室場村・家武(えたけ)村・平原村・花明(けみょう)村の四か村。室場と花明は2大字、家武と平原は1大字で成り立っていました。(「岡崎」1:50000、昭和7年・大... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」78号に道路元標の記事を掲載するに先立ち、一月半ばに喬木村道路元標を探し出した話を書いたばかりですが(→●□)、なんと昨日、自分のフィールドである三遠南信でまたも新規物件を発見してしまいました。 七郷村道路元標だ! 場所は名越(なこえ)集落の北の端、旧道が国道151号と合流するすぐ手前になります。 元標が名越に置かれていたことは資料を見て以前から知っており、20年ほど前に探し回ったこと... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」78号連動ネタの道路元標ばなし。 今回の記事のために、いくつかの道路元標を改めて探しに行ったところのひとつに、旧東加茂郡賀茂(がも)村があります。「賀茂」の名は、今では町名にも施設名にも全く使われておらず、どこだかわかる人はほとんどいないと思いますが、旧足助町の東部になります。 こちらは大雑把な村域図。詳細に知りたい方は、市区町村ID 一覧 | 歴史的行政区域データセットβ版をご参照... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」78号連動ネタの道路元標ばなし。(2006.05.30) 2015年に豊田市九久平町にあった「松平村道路元標」が撤去されたことを当ブログに書きましたが(→●□)、今回の「そう」の記事作成にあたり、どこかに移設されていないか改めて近隣を探し回ってみました。しかし、公共施設にはやはり見当たらず、市の関係部署に問い合わせてみるも所在は把握していないとの回答。あとは、国道301号(改修当時はまだ国道だった... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」78号連動ネタの道路元標ばなし。 道路元標は役場前や役場の入口に設置されたことが多く、西三河でもいくつかの事例が挙げられます。 たとえば岡崎市東部の藤川村道路元標。旧東海道沿いの藤川宿資料館に立っていますが、ここが旧藤川村役場の跡地になります。東西1.2kmの藤川宿の真ん中あたりで、江戸時代には藤川宿の脇本陣でした。(2011.04.10)  豊田市北部の藤岡村道路元標の所在地も、かつて旧藤... 続きを読む
  •  昨日の続きで、春夏秋冬叢書「そう」78号連動ネタの道路元標ばなし。 そんなわけで、道路元標に関しては有名サイト「国道901号 道路元標が行く。」管理人氏の右に出る者はいないのですが、せっかく本誌エリアの道路元標を全掲載するという企画なので、一基ぐらいは“新発見”の道路元標を載せたいな…と思うのは地域系ライターの性というもの。とは言え、これまでに道路元標が設置された三河の旧自治体をすべて現地踏査している僕... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」78号が発売中です。今号のキーワードは「字」。巻頭特集は「文字碑譚」と銘打ち、文字が刻まれたさまざまな石碑を取り上げています。わたくしはその中の一本、「道路元標」の文章を担当しました。 道路元標とは、大正8年(1919)に制定された道路法によりに設置が定められた道路の基準標石のこと。上部が丸みを帯びた石柱の正面に「××町道路元標」と記されており、当時存在した全ての市町村に建てられたこ... 続きを読む
  •  春夏秋冬叢書「そう」77号連動ネタ。 今号のキーワードは「王」ということで、豊橋市南西部の王ヶ崎(おがさき)町について書いてみました。 豊橋市民でも知っている人がどれだけいるのだろうか…というようなマイナーな町です。校区でいうと磯辺小学校区に属し、ロワジールホテルから豊橋港方面へ1km弱のあたりに位置しています。 地名に「崎」と付くので海辺のように思えますが、実際は内陸部になり、「ここまでが豊橋外縁の... 続きを読む
  •  でもって、いよいよ今回の主目的、観光用に復元された魚梁瀬森林鉄道に保存されている元・水窪森林鉄道の機関車とご対面です。集落入口に造成された「魚梁瀬丸山公園」の園内に敷設されており、現在は住民組織の「集落活動センターやなせ」が運行を担っています。 おお、これはアガる!ただ、これは水窪森林鉄道で走っていた機関車ではなく、平成3年(1991)に新造されたもの。水窪の機関車は機動力が弱く、老朽化も進んでいる... 続きを読む
  •  そんなわけで、はるばるやって来ました魚梁瀬(やなせ)集落。 集落の入口に掛かる電源開発架橋の魚梁瀬大橋からは、静かな湖畔の集落全景が見えます。魚梁瀬ダム展望台の案内板に「ダムの高さが115mもあるため上流の魚梁瀬集落はすべて水没してしまうことから、新たに山を切り開き丸山台地(現在の魚梁瀬地区)を造成」したとありましたが、なるほど、確かに山を削った感じがします。 天竜川の事例だと、秋葉ダムによる水没で... 続きを読む
  •  前回の続き。(高知県安芸郡北川村・旧魚梁瀬森林鉄道堀ヶ生橋) 目的地への魚梁瀬(やなせ)まではとにかく遠い道のりでした。 まず、太平洋岸の東洋町野根から国道493号で四郎ヶ根峠を越えて北川村の二股橋(前回アップした国重文の廃線跡橋梁)まで20km。この間に集落は2つ。 二股橋から奈半利川沿いの県道12号を遡上して、久木ダム下の県道54号分岐点まで14km。この間に集落は5つ。県道54号に乗り換えてさらに奥へ奥へと... 続きを読む

MARUKADO

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東海地方を縦横無尽、全国各地に神出鬼没の取材・執筆・編集事務所。
ライター/編集者/媒体によっては撮影も。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住
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