河野っち

2017年10月31日
 もう一つ安城の神社系ネタ。
 安城徘徊の途上、県道幸田安城線沿いの河野町を通りかかったので、何とはなしに神明宮に立ち寄ってみました。河野町は矢作川の美矢井橋近くにある農村集落で、もとは碧海郡矢作町だったのですが、岡崎市にくっついた矢作町から離脱して安城市に入った地域になります。
 その神明宮で、なかなか凄い石モノを発見。

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 参拝前に手を清めるための「水盤」です。なんと豪快な造形!水の溜まる場所の面積は狭く、使い勝手より形重視なのが凄い。寄進者が石工に「凄いの頼むぜ」と発注したのでしょう。


(高棚町・神明神社)

 スタンダードな水盤はこういう箱型です。これはこれで好きだけど…。



 あまりに凄いので、違う角度からも。船みたいな形をしており、舳先にあたる部分に「御大典記念」の文字。建造は昭和3年です。



 凄い凄いと連呼したところで誰からも共感を得られなさそうなので、隣りの村高町にある大クスの写真でも…。矢作川の堤防際に聳え立っています。
(まさ)
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のぎやん0011

2017年10月30日
 そんなわけで、とある取材で安城市内の集落を久々にきめ細かく回ってみたところ、あちこちで乃木希典像に遭遇しました。乃木希典は日露戦争の英雄とされる人物で、戦前に軍神として崇拝され、方々に像が建立されています。特に三河ではやたらと乃木像に出会っており(金次郎石像を全国に普及させた岡崎の石材業界によるものか?)、安城市内ではこれまでに高棚町の神明神社(→●□)で見つけていました。

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 古井町、古井神社境内の乃木像である。

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 城ヶ入町、白山神社境内の乃木像である。

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 福釜町、神明神社門前の乃木像である。これは昭和11年に建造されたもの。
 こんなに頻繁に見つかると、安城市内であと数体はありそうな感じです。まあ、今回の三体はいずれも偶然の出会いで、熱心に探そうという気はありませんが…。

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 ちなみに福釜神明神社門前の乃木像は、ものすごく立派な忠魂碑の敷地内に立っています。大正9年の建立で、おそらく岡崎の石材業者が建立した物と思われますが、銘はなし。

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 しかし、右寄り政権の御時勢に軍国主義を象徴する人物像に注目しているとそっちのシンパと思われそうですが、ただの石造物調査なので誤解なきよう。僕が知りたいのは、これらを作ったのが本当に岡崎の石材業者なのかということと、造形から何か傾向が見出せないかということです。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0358

2017年10月28日
 ここのところ、とある取材で安城市内を頻繁にうろつきまわっておりまして、徘徊中に見つけたカンバンをいくつか。

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 箕輪で遭遇したカンバン群。木造倉庫にブリキカンバンがベタベタ貼りまくられている光景も少しづつ減っていますが、安城の農村はまだけっこう健在です。ここは、仏壇、薬局、小山田地蔵と、生き死にや身体に関わるモノばかりで構成されているのが見事。

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 この中の一枚「桜町動物病院」のカンバンは、碧海エリアでよく見かける一品。病院は森永工場の近くで今もやっておられます。

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 記載されている地図がたぶん40年くらい前のもの。40代以上のネイティブ安城市民なら懐かしいのではないでしょうか。わたくしは岐阜出身なので別に…。
 安城公園の一角に図書館が記されていますが、ここにあったのは昭和60年(1985)まで。このあと市街南部の城南町に移り、さらに今年6月、安城駅近くの「アンフォーレ」に移転し、碧海のナンバー1図書館に踊り出ました。この図書館の来歴は、なぜかwikiにチョー詳しく書いてあります。ヒマな人がいるものだ(人のことは言えない)。

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 こちらは市内某所で発見(ホーローカンバンは持っていく奴がいるので内緒)。地図に載っている森永製菓の工場では、むかしケチャップやスープが作られていたらしいです。
(まさ)
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カンバンの手帖ブログ版0354

2017年10月04日
 春夏秋冬叢書「そう」56号連動ネタで、茨城から無地名に戻ります。
 無の付く小字はなぜか旧足助町にやたらと多く、おかげで久しぶりに足助の山間部をあちこち徘徊することができました。そのうちのひとつ、「影無」のある小町。



 「こまち」と読むと山下久美子の「赤道小町ドキッ」を思い出してしまう世代ですが、「こちょう」と読みます。
 矢作川支流の阿摺川沿いにあり、なんでこんな山の中の小さな集落が「町」なのか疑問を抱かずにいられません(古城の転じゃないかと思いますが由来不詳)。一部マニアの間では、旧旭町の万町(まんじょう)、旧額田町の千万町(ぜまんじょう)とともに「新三大・町場でもないのに町が付く西三河山間部の小集落」と称されております(ウソ)。

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 メジャーな見どころは特にありませんが、とりあえず例によってHINOMIが!細身で先細りのいささか軟弱そうな造りで、旧足助町でよく見かける形状なので一部マニアの間では「足助型」と呼ばれております(テキトー)。

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 で、豊田市山間部の旧町村でお馴染み、集落ごとに設置されている駅名標型キャッチコピーカンバン(→●□)。ローマ字表記すると、なんだか中国の地名っぽい。
 キャッチコピーの「明るい元気な 山里」とは、シンプルというかかえって大胆ですが、行政から「豊田市合併にあたって村ごとにカンバンを作ことになったから何か考えてネ!」と言われた地域の皆さんが、これといったネタもなく困った挙句に出したような…。もっともこの駅名標型カンバンの文言は、半分以上はそういうのですが。

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 あと、字影無。木製の電柱がシブすぎる。

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 よく見るとこんなプレートが取り付けてあった。昔、テレビの難視聴地域にNHKの関連会社が設置した共同受信施設の専用電柱なのでした。
(まさ)

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岡崎におけるストリート名称の件0005

2017年09月14日
 7月下旬の「上地八景」に続き(→●□)、岡崎市のシティプロモーションサイト「岡崎ルネサンス」内のコンテンツ「“〇にナる”岡崎まちものがたり」にまた記事を寄稿しました。今度は岡崎駅の東部を占める羽根学区の話題で、柱町の住宅地にある「記念碑公園」のことを取り上げています(→●□)。そこで出しきれなかったネタ。

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 ここで書いている記念碑公園は、岡崎市でもっとも初期に実施された区画整理事業「柱町耕地整理」の記念碑が建立されている公園です。シブい住宅地の小山を整備し、記念碑および忠魂碑の立つ“メモリアル広場”と遊具を置いた“チビッコ広場”の2エリアからなっており、羽根学区の住民以外にはほとんど知られていないんじゃないかと思います。私は2006年刊行の「西三河今昔写真集」(樹林舎)の取材でこの公園と事業のことを知ったのですが、11年も温めていたネタをいい形で出すことができてうれしい限り。
 記事では柱町の耕地整理完工記念絵はがき6枚セットを大盤振る舞いで全部掲載していますが、特に注目していただきたいのはタテの2枚。

「造成された宅地。記念碑公園の南西あたりから北を眺めたもの」
「現在の吉村医院付近から東を眺めたものと思われます」


という写真説明が入った絵はがきの白枠の部分に「昭和通り」「銭山通り」と、ストリート名称が記載されているのです。

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 昭和通りである。北を望む。

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 銭山通りである。東を望む。おそらくこの丘陵地一帯が「銭山」と呼ばれていたのでしょう。
 記事に掲載した2枚目の地図(岡崎市街全図/昭和2年/三陽堂書店発行)地図を見ると、この2本の道は既に造られているのがわかります。耕地整理事業にあたって軸となる道だったため、ストリート名称を付けたものと思われます。残念ながら定着しなかったようですが…。
 地図はこちら→●□

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 昭和通りから南を向くと、日清紡針崎工場の跡地に造成された新興住宅地「春咲の丘」が見えます。戦前の新興住宅地と平成の新興住宅地を一望できる貴重スポットといえるでしょう(そうか?)。
(まさ)
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