さらば信玄病院

2010年05月02日
 一昨日、前に勤めていた会社の後輩Sと、館内がリニューアルされたばかりの新城市設楽原歴史資料館へ。いちおう取材です。僕は戦国時代にはほとんど興味がないのだが、彼は歴史マニア。こういう人の案内がないと展示物も史跡もどれが重要なのかよく分からないので、助かった。
 で、観覧後、資料館のすぐ東を通る旧伊那街道をウロウロしていたら、こんなマイナーな場所に新しい住宅地が出現していてびっくり。

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 以前ここには、こんな木造二階建ての立派な旧病院建築がありました。

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(2003.08.08撮影)

 その名も信玄病院です。
 歴史マニアにはたまならない名称のこの病院、以前「国道151号。151話。」(春夏秋冬叢書)→●□というマニアックな本を作ったときに調べたところ、創立は不明ですが、戦前にはなかなか繁盛したとか。最盛期に病院長だった牧野文斎という人は、たいそうな資産家でかつ郷土愛にあふれた人物だったようで、設楽原古戦場に点在する史跡のあちこちに、石碑を立てまくりました。それらの多くは今も残っています。
 この界隈の地名も、そのものズバリ、信玄。昔は新間(しんげん)という地名だったのですが、近くに信玄塚(信玄の墓ではなく、設楽原で戦死した人たちの墓)もあることだからと、文斎爺さんが「新間」を「信玄」の字に変えてしまったらしい。真偽は定かでないですが、歴史マニアで土地の名士ならやりかねません。正直、やりすぎ感が…。

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 撮影当時、建物にはこんなプレートがあったり、

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 こんな人形が窓辺に置かれてたりしました。
 いつも言ってることですが、こういう建物こそ文化財に…って、病院じゃさすがに無理ですね。門柱がモニュメントとして残されているだけでもよしとせねば。

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(織田信長が本陣を置いた茶臼山の裏あたり)

 このあたりでは最近、国道151号のバイパスがようやく全通したり、第二東名の建設工事が進んだりと、何かと景観に変化が見られます。同行のSは「史跡が台無しだ」と怒ってましたが、僕としては、設楽ダムよりはいいんじゃないか、と。
(まさ)
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東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
信玄病院
 初めまして、記事拝見しました。この病院に縁のあるものです(義理の関係にあるので直接ではありませんが…)。先日、記事を参考にさせていただき、この場所にも足を運びました。 景観が変わるのも時代の流れで仕方のない事ですが、貴重な写真が記録として残されていてありがたく思います。 もし他にも記録がございましたら拝見できれば幸いです。まずはご挨拶まで。
No title
記録といっても、外観写真を何枚か撮影したくらいですねー。私有地なのでバンバン撮りまくるのもは憚られまして。
資料も、古い話なので具体的に何を参照したかぱっと出てきませんが、新城市立図書館で閲覧できるものを参考にした程度だったと思います。古写真も見た記憶がないし…。
もし何か資料を見つけられたら、逆に拝見させていただきたいところです。

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