旧額田郡本宿村役場

2009年06月26日
 先日、久しぶりに本宿を通りがかったら、本宿駅前にあった旧本宿村役場が消え去っていて愕然。

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 なんじゃこりゃあ。タテカン見たら「下水道工事を行なっています」とあったが…。
 以前ここにはこんな建物がありました。

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(2007.12.09撮影)

 シンプルながらも味わい深い役場建築だったのに、もったいないことです。名鉄の旧西中金駅が登録文化財になっているけど、あのレベルで文化財なら、こっちだってしてほしかった。もはやこのご時勢、闇雲になんでもかんでも登録文化財の申請をすべきですよ。
 2006年に樹林舎の「西三河今昔写真集」を作っているとき、この中に入れてもらったことがありました。当時は地元の公民館として使用されていたので、本宿村時代の古写真が保管してないかと思って(結局、吏員の集合写真しかなかった)。内部の写真も撮っておけばよかった。

090626-3.jpg (2007.12.09撮影)

 旧役場とHINOMIと道路元標の三役揃い踏み。もうこの光景も見られません。「火の見櫓暮情」にはこの写真を使うべきだった。ちなみに、HINOMIの後ろに写っている「かみや雑貨店」も、撮影の2週間後に閉店してしまいました。
 「岡崎の火の見櫓群」てな名称で、こいつも今のうちに文化財にしてほしいところです。岡崎市の教育委員会ならHINOMIを文化財にできそうな気がする。

 HINOMIの写真が出たところで火の見櫓研究者の皆さんにお知らせ。
 三河遠州のHINOMISTなら一度は銘板を見たことがあるはずの「ヤマ六鉄工所」について、その後の調査で判明したことをHPにまとめておりますので、ご覧ください。
三河遠州火の見櫓集成」より
▼火の見櫓の製造業者一覧→●□
▼ヤマ六鉄工所についての覚書→●□
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西三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
「ヤマ六鉄工所」
元宿の巨大な火の見櫓は私も以前撮影しましたが、天候が悪くいつか再び撮影に行こうと思っていました、その折この公民館も気になっていました。とりあえず二枚ほど撮影だけはしましたが。
今回のようなケースは時々ありますね。
行ったら無くなってたって、、もちろん事情があるわけで文句を言う立場でも無いんですが残念でたまらない思いはありますね。


「ヤマ六鉄工所」の調査、すごいです。よくここまで、、って思います。
私も、尾張地方の火の見櫓の建設業者の調査をしていますが、すでに関係者もいない状態で行き詰る事が多いのが実情ですね。

尾張地方で多く残る「杉浦鍛工所」は私のサイトでも紹介していますが、先日もう一つ尾張で多い「亀井製作所」のことがようやくわかりました。
「杉浦鍛工所」の杉浦さんに久々にお会いして何気なく「亀井製作所」のことをお聞きしたら「亀井さんは私〈杉浦さん89歳)の師匠だった」ということでした。戦前の火の見櫓は亀井さんが建てて、戦後昭和25年ごろから亀井さんが体を壊し杉浦さんが後を継いだということです。
当時、名古屋市中区古渡町には小さな鉄工所が多く有りました。
亀井製作所もそこにあり、隣には「横井喞筒(そくとう)製作所」などもあり
消防関係の会社があったということです。
地区の地元の鉄工所〈鍛冶屋さん)で建てた火の見櫓は、もうまったくわからないですね。

私が見た火の見櫓で「ヤマ六鉄工所」の火の見がこちらに無かったのでご紹介しておきます。音羽町長沢です。


http://homepage2.nifty.com/kotenma/otowa.htm
そもそも僕も「尾張の火の見櫓」の杉浦鍛工所訪問記を見て、製造業者を調べてみようと思い立った次第で…。現存しないので文献をあたるしかないんですよね。しかも、別の調べ物をしているときにたまたまヤマ六の名を見つけたという。

長沢は、本格調査に着手する直前に撤去されてしまい、撮り洩らしました。
同じく調査前に取り壊された新城市本町の火の見櫓は、杉浦鍛工所製だったそうです。

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