マニアな話題が続くけど、鉄道系のネタだと検索して来てくれる人もいるみたいなんで、迎合して…。新垂井駅跡を見たついでに県境を越えて、米原市の「住友大阪セメント伊吹工場専用線」の廃線跡も見てきました。
住セメ伊吹専用線は、東海道線近江長岡駅から伊吹山の麓にある工場まで通じていた貨物専用線です。平成11年まで貨物列車が運行されており、15年ほど前、線路沿いを歩いて走行中の貨物列車を撮ったことがあります。その写真は僕が取材編集した「湖北の今昔」(郷土出版社・平成15年)に趣味でこっそり載せたので、興味のある人は長浜近辺の図書館にでも行ってご覧ください。湖北エリアの駅の古写真も多数掲載しております。

貨物ヤードが広がっていた近江長岡駅東側は、線路が剥がされキレイサッパリ。

ここから県道を渡るとすぐ、サイクリングロード化されていました。う~む、意外だ。しかもこの道を自転車で走る親子まで!
廃線跡サイクリングロードは全国至るところに存在するけれど、実際に自転車で走っている人ってあまり見たことがないぞ。

伊吹山が近づいてきた工場の手前。路面にはご丁寧にレールのデザインまで。伊吹工場でのセメント生産は中止されています。「湖北の今昔」を作ったときはまだ操業しており、本に掲載すべく事務所へ古写真を借りに行ったっけな。

セメント生産は中止されたけど、鉱山での採掘はまだ行われているようで、伊吹山の中腹にある鉱山から旧工場までの輸送コンベア線(正式名称知らん)の動く音が聞こえてきました。写真は工場の裏手にある上野口バス停。確か昔はここが「伊吹登山口」という名で、近江長岡駅発の近江バスの方向転換場でした。
しかし伊吹山の雪のなさっぷりには驚いた。伊吹山にこれほど雪がない冬は記憶にありません。昔はバスもスキー客輸送でにぎわったらしいけど、スキーどころじゃないね。
(まさ)
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コメント
nao
昨年11月下旬、母を伴って山口県長門市の仙崎港に
行ってきたのですが、あそこにも秋吉台からの長~い
ベルトコンベアーが造成されて、仙崎港の積み出し口まで
伸びていましたね。住友大阪セメントの経営で、日本最大の
セメント用石灰石の搬出量だと聞きました。
もっとも、わたしは、セメント運搬線に関心があったのではなく、
昭和20年9月に、母親が、この港まで命からがら逃げてきたという
満州引揚者の足跡をたどる旅だったのですが・・・
2009/02/22 URL 編集
まさ
セメントといえばK社時代、佐世保入りする途上A氏と宇部・小野田あたりを通りましたが、町の雰囲気がどこか乾いた感じだったのが印象的でした。
2009/02/23 URL 編集