その近江大浦駅から出ていた国鉄バスに、菅浦という湖畔の集落への支線がありました。


菅浦は、琵琶湖北端に突き出した「葛籠尾半島」の先端に位置する集落です。昭和40年代後半まで道路が通じていなかったので陸続きなのに孤島状態で、最寄りの町場である大浦へは渡船が通じていました。アクセスしやすくなった今でも秘境感に満ちています。
大浦からの国鉄バスが走るようになったのは昭和49年(1973)。昭和末年から平成初期の間に湖国バスに移管されているので、国鉄バス時代は15年ほどと短期間でした。

それも現在は「西浅井おでかけワゴン」というコミュニティバスになっています。

この集落は、人がどかどか訪れるわけでもないけれど超メジャー。鎌倉・室町期の区有文書「菅浦文書」は国宝で、集落は「菅浦の湖岸集落景観」として国選定重要文化的景観になっているし、秘境としての格が違います。


実際に景観は独特で、波除の石垣が伸びていたり、集落の両端に結界を示すかのような四足門が立っていたり。


そして民家の敷地内には「第〇作業室」の表札を掲げた小さな小屋がいくつも建っていたりします。これらは、ヤンマーが各家庭に設置したもの。こういう施設は他では見たことがありません。

ヤンマーの創業者山岡孫吉(長浜市高月町西阿閉出身)は、湖北の農村振興のためあちこちに工場を設立して働き口を提供する事業を展開しました。それらの工場でもっとも僻地にあるのが「ヤンマー菅浦農村家庭工場」。昭和30年代半ば、集落の入口に拠点を置き、各家庭にも作業室を建てたのです。
湖北を回っているとヤンマーの存在感をあちこちで感じます(これとか→
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(1993.09.10)
最後に、初めて菅浦に来たとき撮影した湖国バス時代の菅浦バス停の写真を。たしか永原駅発の夕方の便に乗って往復したんだったと思います。停留所の位置は今と変わらず、集落入口の須賀神社鳥居前。おそらく国鉄バス時代もここだったのでしょう。
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