樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→
●□)のスピンオフ。

本書には、昭和40年前後に撮影された国鉄柳ヶ瀬線および木ノ本周辺の国鉄バス関係の写真を何枚も掲載しています。しかも、その多くはカラー写真。これは、木之本出身の高校美術教師でグラフィックデザイナーでもあった田辺宗一郎(1909~1990)が撮影しもののごく一部で、版権所有者である宗一郎氏の御子息と、写真を管理している地域づくりグループ「木之本町並み研究会」の協力を得て掲載したものです。
類似の写真はほとんど見たことがないたいへん貴重な記録で、紙媒体でまとめて取り上げるのは本書が初めて。地元の人のみならず研究者やバスマニアにもぜひご覧いただきたいところ。


(2000.06.06)
湖北地方の国鉄バス・JRバスの基地は、木ノ本駅前にあった近江今津自動車営業所木ノ本支所(派出所)。今の駅舎のあたりに、建物と車庫が20年くらい前までありました。平成8年(1996)の金居原線廃止を最後に管内の路線バス湖国バスに移管され、以後は貸切営業だけをしていたようです。

(昭和49年の路線図。2002年頃に木ノ本派出所でコピーさせてもらったもの)
その木ノ本管内の主要路線のひとつに、県境を越えて敦賀まで通じる「柳ヶ瀬線」がありました。元を辿ると北陸本線で、昭和32年(1957)に近江塩津ルーツの開通により支線化されて柳ヶ瀬線となり、利用者があまりにも少なすぎて昭和39年(1964)に廃止。この代替路線として廃止翌日から営業を開始しました。

起終点を除いて沿線でもっとも人口が多いのは、旧余呉町の中心地区だった中之郷(駅名は中ノ郷)。廃線跡を転用した国道365号の旧駅付近には、国鉄バス→JRバス→湖国バス→余呉バスと変遷した中之郷バス停があります。
僕が初めてここを訪れたのは高校生だった平成元年(1989)。敦賀から、まだ県境越えの運行があった柳ヶ瀬線のJRバスに乗り、途中下車したときのこと。当時はここにこんな建物がありました。

(1989.08.09)
木ノ本方面乗り場に大きな待合室があり、そこに「中ノ郷駅」の表札が掲げられていました。つまり、この建物は単なる待合室ではなく、駅舎です。当時すでに、ここでの切符販売はありませんでしたが、出札窓口が残っていたのを覚えいています。かつては駅員が詰めており、鉄道駅と同じ機能を持っていた時期があったわけです。
たしか平成15年(2003)には、まだ駅舎が使われていた記憶があります。
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