樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→
●□)のスピンオフ。
湖北の国鉄バスといえば、私が持っている資料にこのような地図があります。昭和49年(1974)に発行された滋賀県北部と福井県西部の国鉄バス路線図の一部で、20年前、木ノ本駅前にあった西日本ジェイアールバスの派出所でコピーさせてもらいました(滋賀県部分のみアップ)。
早くに廃止された浅井線は掲載されていませんが、当時はまだこれほどの国鉄バスネットワークが健在で、まさに古き良き時代。

ここで特に注目したいのは、昭和36年から昭和51年まで木ノ本-米原間(5年ほど名神彦根まで延長)で運行されていた米原線です。
北陸本線と並走しているのに起終点以外は駅前に乗り入れておらず、今の感覚で見ると利便性の面でいささか存在意義が疑問です。これはおそらく、沿線にあった長浜ゴム(現在の三菱ケミカル)、大塚産業、長浜日赤病院、ヤンマー長浜工場などの大工場や大病院へ、長浜駅を経由せずダイレクト通勤・通院する人が利用したのでしょう。
停留所名も興味深く、旧国名の「近江」を冠するものが7つ、「国道」を冠するものが3つ見られます。そのうちのひとつ、国道虎姫停留所は、湖国バス木之本田村線の停留所としていまだ健在です。

シブい、シブすぎる!

このバス停は、高時川の馬渡橋に登る国道8号の築堤の途中に設けられています。虎姫駅へはおよそ1kmで、開業当時に存在した虎姫駅/停留所と区別するために、「国道」を冠したのではないかと思われます(国鉄バスは、鉄道と接続する停留所を「○○駅前」とはせず駅名と同じにするのが命名の基本)。

下から見たバス停も、また何とも言えない味わい深さ。階段と柵付きの通路がたまらない(僕だけ?)

なお、国道8号の馬渡橋は昭和41年(1966)の架橋で、現在の国道虎姫停留所はその際に旧道から移設されたと思われます。この写真は旧道で、旧道なのに道が広く、昔の市町村境界標識が忘れ去られたように残っているのが高ポイント。幅員が広いのは、開港場(国際貿易港)のある敦賀への幹線道路「名敦道路」として戦前に整備されたことの名残り。

ちなみに、国道8号には早くから近江鉄道バスが運行されており、国鉄バスと競合していました。本書には、国道8号に設けられた近江鉄道バス速水停留所の写真を掲載しています。
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