樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→
●□)のスピンオフ。
そんなわけでいささか地味な虎姫駅ですが、かつては旧虎姫町のみならず、東浅井郡全域の玄関駅という性格も持っていました。虎姫にはかつて東浅井郡役所があり(大正15年まで)、東浅井郡唯一の警察署である虎姫署があり(平成18年まで)、東浅井郡唯一の高等学校である虎姫高校が今もあります。虎姫駅と中心市街地の規模が小さいのでそうは思えないのですが、確かに「東浅井郡の中心地」であったのです。
そして虎姫駅は、かつては東浅井郡を走る国鉄バスの拠点でもありました。

昭和20年代後半から40年代初頭にかけて、東浅井郡と伊香郡南部には、図のような国鉄バスのネットワークが形成されていました。このうち赤いラインは、昭和27年に開業した「浅井線」という路線です。
時刻表や路線図などの資料がないので、経路は推定、運行本数も不明ですが、虎姫駅発着便は次のような運行系統だったと思われます。
・虎姫-近江高山(一部は近江谷口経由)
・虎姫-近江山本
・虎姫-高月/木ノ本 これらの路線は昭和41年に廃止されたので、わずか14年しか存在しませんでした。あと数年で廃止から60年が経過し、もはやこの路線の記憶がある人も限られてきています。
ところが、終点に近い旧浅井町野瀬には、こんな凄いものが残っています。


野瀬停留所のバス停板だ!
僕がこれを初めて見たのは24年前でその時もたいそう驚いたけど、まさかまだ残っていようとは…。もはや文化財なのでこのまま永久に現状維持してほしいところ。
なお、この古い建物は野瀬簡易郵便局の旧局舎兼雑貨屋でした。

廃止後、この路線の一部は近江鉄道バス、湖国バスと変遷し、この停留所は「類似の名称がある場合は旧国名を冠する」という国鉄の基本的な命名法により名付けられた「近江高山」を今も名乗っています。地元の人にとってここの地名は、高山ではなく「近江高山」と認知されているのでしょう。
ちなみに地元で聞いた話では、草野川の左岸側のある民家が乗務員宿泊所になっていたそうで、現当主のおばあさんが世話をしていたとのこと。

(昭和30年頃、個人蔵)
この国鉄バスの写真はぜひとも掲載したかったので探し回ったのですが、残念ながら走行風景の写真は見つけられず。唯一発見したのは、旧浅井町西野の個人宅から出てきた西野バス停の写真。停留所名の部分が白く飛んでいるのが惜しい…。

あと、僕が2003年に作った郷土出版社(現在は廃業して存在しない会社)の「湖北の今昔」には、国鉄バスが写った虎姫駅の写真を掲載しています。これも残念ながらバスの方向幕が見えず、どこ行きなのかわからない。
以下オマケ。

(1998.10.19)
近江鉄道バス時代の近江高山バス停。
国鉄バスがあった時代には、近江高山-草野川右岸-野瀬-郷野-鍛冶屋-北ノ郷を経て長浜駅方面に至る近江鉄道バスが運行されていました(野瀬-郷野は国鉄バスと重複)。
郷野で出会った年配の方によると、「国鉄バスは運行期間が短かったし、虎姫へ出るよりも長浜に直行する方が都合がいいので、乗った記憶がない」とのこと。おそらく、近江高山-郷野間の住民で国鉄バスをを利用したのは、虎姫高の生徒と、虎姫以北へ通勤する人くらいだったのでしょう。

(1998.10.19)
近江高山と同じく、国鉄らしい名称の湖国バス近江谷口バス停。ここは現在、お市ちゃんタクシー(乗合タクシー)の谷口乗降場になっています。
◎マニア向け、国鉄バス浅井線の参考資料〈浅井線年表〉S27.04.05 近江山本-虎姫-近江高山、伊部南口-木ノ本、阿弥陀橋-高月 開業
S30.08.05 高畑-近江北野-小室 開業
S30.12.13 賤ヶ岳口-近江山本、西阿閉-高月 開業
S36.05.22 木ノ本-米原 開業(米原線)
S38.04.20 近江北野-近江谷口 開業
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S41.08.01 近江高山-虎姫-近江山本-賤ヶ岳口-木ノ本(近江谷口支線含む) 廃止
S41.09.29 西阿閉-高月-阿弥陀橋、伊部南口-田部-木ノ本 廃止
S51.02.01 木ノ本-米原 廃止
(不毛企画 乗り物館 https://magame.jp/ の記事を基に構成しました)
〈近江高山系統のルート及び停留所〉※ルートの一部、停留所名と位置は推定です
※停留所名は1993年発行の滋賀県都市地図(昭文社)記載の地図から推測しました
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