樹林舎刊「長浜・米原の100年」(→
●□)のスピンオフ。
米原市内にはもうひとつ、旧坂田郡近江町の玄関口にあたる北陸本線の坂田駅があります。近江町の玄関駅というか坂田郡全体の玄関駅のような駅名ですが、これは所在地の旧村名である旧坂田郡坂田村が由来です。

坂田村は、昭和17年(1942)に法性寺村と日撫村が合併して誕生したもので、昭和6年(1931)の開業当時は法性寺駅という名前でした。駅は昭和15年から29年まで休止され、営業再開したときに当時の村名を取って坂田駅に改称したものの、その翌年に坂田村と息長村の合併で近江町が誕生したため、後世の人には意味のわからない駅名になってしまいました。
広域名称である坂田や近江を自治体名にしたのは、合併時に「まだどこも名乗ってないから使っちまえ」という感じだったのでしょう。地方自治あるあるの「早い者勝ち」ですね。

なお、駅舎みたいな建物は、実は駅舎ではなく「近江母の郷コミュニティハウス」という駅前公共施設です。正式な(?)待合室は、コミュニティハウスの脇にあるこの小屋。
旧近江町は核となる町場がなく、かつての坂田駅も玄関駅というにはかなり貧弱だったのですが、20年ほど前からこの駅の東側で大規模な宅地および商業地開発が行われ、利用客もかなり増加したはずです。そのきっかけとなったのが、平成3年(1991)の米原-長浜間直流化の際に駅が元の位置から現在地へ移設されたことでした。

もとの駅は現在地より200mほど長浜寄り、神明踏切の北側にありました。電化前は、米原(or彦根)-木ノ本(or敦賀)の区間運転のディーゼルカーが一日数本停車するだけという本線上の超過疎駅で、ホームの3両分くらいしかありませんでした。
僕は移設の半年前、大阪セメント専用線を見物に行ったあと醒ヶ井駅から坂田駅まで歩き、ここから列車に乗っています。

(1991.02.13、以下4枚同じ)
ホームから米原方向を望む。写真の奥のほうに見える特急列車のあたりが現在の駅になります。


上は米原方面乗り場、下は長浜方面乗り場。

米原方面の待合室。窓の上にはサビサビの駅名表示も。建造年は不明ですが、たぶん再開時でしょう。今なら駅施設に取り付けてある「建物資産標」を必ずチェックして建造年を確認するのですが、当時はそういうものの存在を知らなかった…。


旧坂田駅には、ホーム跡の盛土と駅名標の枠が今でも残っています。
昔の湖北の駅シリーズは一旦ここまで。ここより北はまたいずれ。
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