春夏秋冬叢書
「そう」78号連動ネタの道路元標ばなし。

(2006.05.30)
2015年に豊田市九久平町にあった「松平村道路元標」が撤去されたことを当ブログに書きましたが(→
●□)、今回の「そう」の記事作成にあたり、どこかに移設されていないか改めて近隣を探し回ってみました。しかし、公共施設にはやはり見当たらず、市の関係部署に問い合わせてみるも所在は把握していないとの回答。あとは、国道301号(改修当時はまだ国道だった)を管轄する豊田加茂建設事務所に聞いてみるか、あるいは道路工事を請け負った業者を探し出すか。そこまでするほどのことなのか、だんだんわからなくなってきましたが…。
ちなみに、所在地の新旧対比。道路元標は、県道37号旧道の雙龍橋の南側にありました。

(2006.05.30)
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(2022.11.28)
北側からの眺め。

(2006.05.30)
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(2022.11.28)
4.0tの重量制限標識は残っているものの、今は車の通行は禁止されています。なお、道路元標の前にあった酒屋の田中屋(青い外壁の建物)は、松平中学校の入口に移転して今も営業しています。
この消失した松平村道路元標は、最初から雙龍橋のたもとにあったわけではないようです。古い資料(愛知県公文書館所蔵の「道路元標位置図」)によると、橋の北側に並ぶ建物と建物の間の細道の角に設置されたことになっています。

ここが最初に立てられたと思われる場所。なんでまたこんなところに?と不思議に思われるでしょうが、ちゃんと意味があります。実はこの細道は、松平村役場への導入路なのです。

坂を登ったところにある「鵜ヶ瀬ちびっこ広場」が役場の跡地。いちおう遊具があるものの荒れた雰囲気で、もはやここで遊ぶちびっこはいないでしょう。


玄関の門柱と、土台の石垣が現存しています。草に覆われて遺跡のようになっており、近現代史の貴重な遺構だと個人的には思うけど、どうにもしようがないという…。100年後くらいにマニアが「発掘」するかもしれません。

オマケ、現役時代の松平村役場。僕が制作した「西三河今昔写真集」(樹林舎、2006年)より。
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コメント
nao
2023/04/11 URL 編集