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共同スピリット

 春夏秋冬叢書「そう」73号連動ネタで、豊清町の「茶屋ノ下」の続き。

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 豊清町は、大雑把にいうと豊橋南部の郊外に広がっていた原野「天伯原(→●□●□)」の東端に位置する開拓集落です。豊と清という縁起のいい文字が町名に付いているのはいわゆる瑞祥地名で、未開の無人の地に入植した人が発展を願って命名したものでしょう。

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 豊清バス停の東側の小高いところには、豊清神社があります。由緒書などは見当たらなかったので祭神など詳しいことはわかりませんが、村を開いたときか暮らしが軌道に乗った頃に、初期入植者の出身地の神社か、信仰する神様を勧請したのが起源ではないでしょうか。

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 鳥居、標柱、石灯籠、手水といった石造物は昭和60年(1985)の設置で、このように「開村八十周年記念」と刻まれています。てことは、開村は明治38年(1905)。
 「豊橋百科事典」(豊橋市・平成18年発行)には豊清神社の項目があり、「明治25(1892)年、豊清町の開拓者斎藤清助が豊清園に稲荷社を祀った。明治41(1908)年磯辺村より移住した兵藤荒次郎らが二川八幡社より分霊して稲荷社に合祀した。昭和38(1963)年社殿を改築し、社名を豊清神社と改めた」とあります。年のズレが気になりますが、まあだいたい120年の歴史を持つ集落ということです。
 
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 門前には、表に「共同の心」とだけ刻まれたこのような石碑も建っています。

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 裏の碑文によると平成17年(2005)、ここにあった共同精米所の取り壊しの際に建てた記念碑なのでした。どんな建物か想像がつくけど、見ておきたかった…。

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 精米所は消えましたが、古い建物の「豊清町公民館」が近くにあります。学校校舎か軍施設の払い下げにも見えますが…。
 
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◎研究者向け、記念碑の全文

 豊清史に重みを感じる一頁がある。それは共同精米所の建立記。戦争の傷跡癒えぬ昭和二十年代前半、町民の並々ならぬ苦労があった。
 「明日、サツマ芋何貫目、牛車何台、人夫何人集マルコト」長老の号令で集まったさつま芋は、国有林間伐払い下げの木材と物々交換された。牛車は多米町の国有林での間伐材伐採と運搬に使われた。人夫は用地の整地作業に取り組んだ。用地は伐採して余った木材などを地主に提供するのと交換に手に入れた。こうして、共同精米所は完成した。
 それから五十余年が過ぎ。共同精米所はその役目を終えた。そこで、開村百周年を迎えるにあたり、豊清神社に氏子待望の広場を設け、その有給不滅の「共同の心」を受け継ぐこととした。
 その心をたたえると共に、地主、関係者に深く感謝の意を表し、また、氏子一同の平和と繁栄を願いここに祈念碑を建立する。

平成十七年十月吉日

豊清共同精米所資産 献上者御芳名 開村百周年
以下、39名列記

(岡崎市上佐々木町石工団地内 酒井石材店製)


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MARUKADO

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東海地方を縦横無尽、全国各地に神出鬼没の取材・執筆・編集事務所。
ライター/編集者/媒体によっては撮影も。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
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