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本町ワンウェイ

 平成28年から編集委員会の調査執筆員として参加した「新編高浜市誌 高浜市のあゆみ」が、先月刊行されました。

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 何冊もの本の制作に携わってきた私ですが、市町村史誌に関わるのはさすがに初めてです。委員には、愛知・三河の研究者業界で名の知れた実績豊富な偉い先生とか、大学や研究機関に籍を置く気鋭の研究者とか、見る人が見れば「おおっ」というような錚々たるメンバーが名を連ねており、その中でなぜか一人だけ「ライター・編集者」の肩書の自分が末席を汚しているのは、なんというか、ちょっと場違いな感も…。
 ただ、元碧海在住民という地の利と(事業開始時にはまだ知立市民だった)、プロ研究者があまり手を付けないようなジャンルが得意という強みがあり、とりあえず与えられた役割はこなせたかと思います。
 で、他の仕事と同様に、本には出し切れなかった細かい話題がたくさんありますので、ぼちぼちネタ出していきます。その一発目、自分が担当した「商業」のはなし。

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 碧海5市にはそれぞれ古くからの中心市街地に商店街が形成されていましたが、パッと見ていまなお「昔ながらの商店街」の雰囲気を留めているのは安城くらいです。今の時代、大都市を除けば商店街という形態が成り立たないのはもはや明らかで、地方の中小都市ではむしろ商店街がない状態が普通であるとも言えます。
 ただ、旧市街に商店が少ないからと言って、その町に活力がないということではありません。碧海の高浜、刈谷、知立なんかはまさにそうですね。

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 とは言え高浜は、碧海5市で一番早くに商店街の賑わいに翳りが出ていたようです。聞き取りをした商店主らはその理由として「商店街のある本町通りの一方通行化」と「公共駐車場がなかった」ために不便だったことを共通して挙げていました。メインストリートである本町通りの一方通行が実施されたのは昭和47年(1972)で、窯業関係の輸送車や自家用車が町の中をバンバン走っていた時代。歩行者にはかなり危険だし、当時としては妥当な規制だったと思います。
 しかし、その規制は令和になった今も続いており、車で高浜中心部に行くとものすごく不便!幅員は十分あり、車もそんなに通らないんだから解除すればいいのにと思うけど、なにか事情があるのか…。
 ちなみに吉浜中心部でも、高浜での実施翌年の昭和48年(1973)から一方通行が続いています。吉浜は道がかなり狭いので、これはまあ仕方ない。

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 高浜の中心部は商工住(小売業者と個人営業の窯屋と一般住民宅)が混然一体となっていたのが特徴です。また、本町通りの南端の坂道に沿って日本陶管、神谷製陶所、森組陶管という大きな土管工場も集積しており、その坂は「土管坂」と呼ばれていました(→●□)。土管坂というと常滑のやきもの散歩道が有名ですが、たぶんこちらの方がそう呼ばれるようになったのは早いと思われます。
 常滑の土管坂は、以前あっちの媒体の記事のために調べたところによると昭和62年頃から使用されている呼び名です(それ以前は「やきものの坂道」「焼物坂道」と呼ばれていました)。上の写真の土管坂碑は昭和63年の建立。「ウチも負けてらんねえ!」って発想か?
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MARUKADO

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東海地方を縦横無尽、全国各地に神出鬼没の取材・執筆・編集事務所。
ライター/編集者/媒体によっては撮影も。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住
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