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ケタ違いの町

 春夏秋冬叢書「そう」67号連動ネタ。まだ続く春野の話。
 ところで気田川の名前は、中流にある集落「気田」から来ていると思われます。

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 気田は旧春野町で最大の町場で、ゆるやかに蛇行する気田川の河畔の平地に町が広がっています。明治22年から大正12年まで日本を代表する製紙企業、王子製紙の気田工場があり、木材集積地と製紙工場の町としてたいそう栄えたそうな。

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 集落と川の名前は「気田」ですが、ケタにはもうひとつ「気多」という表記もあります。角川地名辞典によると、中世の文書等には「気多郷」と記されていたのが、江戸時代には「気田郷」「気田村」と記され、明治22年に気田・宮川・豊岡・石切・小俣京丸の5村が合併した際に「周智郡気多村」となって、昭和32年の春野町発足まで続いたとのこと。
 大雑把にいうと、気多は広域地名、気田はそのうちの中心部の地名、という感じでしょうか。現在「気多」を名乗っているのは旧気多村の集配局だった気多郵便局くらいで、小学校、幼稚園、駐在所、発電所、商店街などは「気田」を使っています。

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 ところが、商店街の中ほどにあるバス停は、左は森町・袋井へと通じる秋葉バスサービスが「気多バス停」を、旧春野町内を網羅する春野ふれあいバスは「気田バス停」を名乗っています。どうゆう事?

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(1994.09.05)

 秋葉バスサービスは森町に拠点を置く静鉄の子会社で、この路線も平成8年までは静鉄バスが運行していたのですが、当時の停留所名はご覧のとおり「気田バス停」でした。なぜ秋葉バスは名称変更したのだろうか。理由がまったくわからない。知っている人がいたら教えてください。

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 近くでは「静鉄バス気田営業所」と記された昔の商工案内図も発見。
 ちなみに西鹿島駅と春野を結ぶ遠鉄バスは気田まで乗り入れておらず、4キロほど南の春野協働センターが終点で、ひとむかし前は一草橋(→●□)の少し南にある春野車庫が終点でした。秋葉バスの存在は、旧春野町が同じ周智郡だった森町との結びつきが強かったことを示しており、一方で遠鉄バスが途中(犬居地区)までしか来ていなかったのは、秋葉山の参拝客輸送を主眼にしていたからではないかと思われます。
(まさ)

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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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