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ゆけゆけハッチ坂-南編

 新箱根の岡崎側ではついラブホ跡のチェックに夢中になってしまいましたが、実のところ最大の目的は、トンネルの蒲郡側の入口近くに建つ「鉢地坂開鑿記念碑」を見ることでした。

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 かなり大きな石碑ですが、周囲を木立が覆っているので、ほとんどのドライバーは存在に気付かないのでないでしょうか。建立は昭和12年。石碑の下部には由来を記した銅板が埋め込まれています。その要点は以下のとおり。

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・明治36年、蒲郡の尾﨑市右衛門が鉢地坂にトンネルを通すことを提唱
・市右衛門は大正6年に亡くなるまでトンネル開鑿促進運動を率いた
・大正9年、県道切山蒲郡停車場線が認定(つまり以後は県の事業になる)
・昭和4年、鉢地坂開鑿期成同盟会を設立
・昭和6年着工、昭和8年完成

 尾﨑市右衛門が鉢地坂トンネルの“発案者”であることは、蒲郡市史や蒲郡市教委発行の郷土誌本で紹介されているのですが、それにはこの人が何者であるかには触れられていません。一体誰?そこ重要じゃね?市史も郷土誌本も不親切だなあ(執筆要綱等の制約があってあえて記述しなかった可能性もありますが)。
 すると「そう」62号で記事を書くために尾﨑市右衛門と鉢地坂トンネルのことを調べまわっていた女性取材記者が、どこかで「市右衛門は萬市という店を営んでいたらしい」という情報を仕入れてきました。萬市というと、むかし本町銀座のあたりで「萬市百貨店」を見たような覚えがあるが…。

200302-6.jpg
(1998.02.22)

 昔のアルバムを漁ったところ、なんと萬市百貨店の写真が出てきた。おお、我ながらよく撮っていたものだ。
 で、それだけの情報をもとに女性取材記者が本町界隈で聞き込みをしたところ、なんと市右衛門の子孫を見つけ出すことができました。でかした!おかげで記事では、市右衛門の来歴やご子孫が提供された古写真を掲載することできた次第です。興味のある方はぜひ本誌を買ってくださいませ。
 なお、女性取材記者がご子孫から聞いた話では、記念碑の周囲をちょくちょく掃除や草刈りされているとのこと。

200302-4.jpg

 新箱根の蒲郡側は眺望が良く、このあたりには展望台も設けられていました。

200302-7.jpg

 その展望台の写真は、女性取材記者が制作を担当した「東三河今昔写真集」(樹林舎、2005)に掲載されています。これはまあ図書館ででもご覧ください。

200302-5.jpg

 現在は沿道に木々が生い茂っており、上の展望台跡地をはじめ、車を走らせながら眺望が楽しめる箇所はほとんどありません。だいぶ下ったあたりでチラっと見える程度。

200302-3.jpg

 でもって、蒲郡側でもラブホの遺構をチェック。こちらでは2軒が現役でした。

ホテル有楽
ホテル水月
ホテルスワン
ホテルオレンジ(営業中)
ホテルシルクロード(営業中)
 (※北から順)

 廃ホテルの追加情報や経験談をお持ちでしたら、ぜひコメント欄にお寄せください。情報は三河の観光史研究に役立てられます(テキトー)。
(まさ)

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◎研究者向け、記念碑銘板の全文

 ・平仮名は原文ではすべてカタカナ
 ・一部漢字を常用漢字に修正
 ・改行は適宜

開鑿史
 明治三十六年四月、蒲郡町民尾﨑市右衛門翁始めて鉢地坂開鑿の必要を説き、西宝(注1)八ヶ町村有志総代となり時の知事深野一三氏に実地測量請願書を提出し、引続き大正六年其の死に至る迄各方面に促進運動を為す。
 大正九年四月切山蒲郡停車場線(注2)として府県道に認定せらる。大正十一年長年運動の機熟し蒲郡町一千円本宿村三百円を支出し県に依頼し実地測量を為し町村民夫役に参加す。昭和四年十月蒲郡町長中川甚五郎氏本宿村長小早川博氏外両町村有志は開鑿促進の為め鉢地坂開鑿期成同盟会を設立す。
 同年十二月宮島土木部長地元県会議員一同実地踏査。昭和五年二月県にて実地測量を開始す。同年四月県知事岡正雄氏実地踏査。同年十一月岡知事着工を承認す。
 昭和六年一月第一期工事蒲郡地内着工。工費四万八千円。同年三月第二期工事本宿地内着工。工費三万九千円。同年七月第三期工事トンネル及道路。工費十二万四千八百円。完成、昭和八年十二月二十八日(注3)

鉢地坂開鑿期成同盟会長 蒲郡町長 中川甚五郎
        副会長 本宿村長 小早川博

委員
蒲郡町 
小田耕太 大村賢次 尾﨑慎一 山本重治 小林仲次 安藤舜二 小田文三郎 尾﨑栄一 渡辺長八 松山周一 榎本昇平 宮田治 
本宿村
永井貞治 神谷重治 河合末蔵 杉浦茂三郎 太田亀吉 坂井國次 安藤種三郎 青山為吉

昭和十二年十月建之 蒲郡町 本宿村

製作者 岡崎市中町 ヤマ治銅器製造工場(注4)

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注1 宝飯郡西部のこと。
注2 切山は現在の岡崎市切山町(旧額田町)。現在は国道473号の一部。
注3 「蒲郡市史」では11月28日と記載されている。たぶん市史が正しいだろう。
注4 ヤマは「𠆢」。このほか石碑制作者として石碑裏面に「岡崎市中町 杉浦磯治郎刻」の記載あり。

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コメント

harubon

harubon自身
新箱根ホテル群が 現役だった頃
数軒 利用させてもらいましたが...

その中で「竹千代」は
設備の点ではピカイチでした!

「富士」だったと思いますが
鏡張りの部屋が あった様な覚えが...

これは友人からの情報ですが
「東海錦」は ベットに葵の御紋が あったそうです

基本的には 簡素で
寝だけ程度のホテルが 多かったです

昭和59年頃に 平日1800円から
利用出来たホテルもありました

たまーに車で通ると
『なんだかなあ〜』って

衰退ぶりに ため息が出てきます

若かれし頃の思い出です







まさ

おお、ありがとうございます。まさに現代の民俗学、記録されづらい貴重な記憶!
非公開コメント

MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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