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中流管理録トネ町0002

 河内町から西へどんどん進むと、利根町という町に入ります。河内町と同じく利根川河畔の農業地帯ですが、中心部の布川は利根川水運の湊町であり、JR成田線布佐駅や常磐線沿線の取手にも近いためか大団地があったりして、いささか趣を異にしています。詳しくは二年半前の記事→●□をご覧ください(あまり詳しくないけど)。
 その利根町布川では、以前来た時には行けなかった二つの見どころに立ち寄りました

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 ひとつは柳田國男記念公苑。柳田國男がまだ13歳だった明治20年から二年ほど暮らした場所です。國男は兵庫県の生まれですが、兄の鼎が帝大医学部卒業後にいろいろあって布川で医院を開業することになり、その際、両親ともども呼び寄せられて兄に面倒をみてもらいました。そのとき住んだ家の跡地がここ。
 柳田國男と言えば、流れ着いた椰子の実を伊良湖で見たとか(→●□)、のちに國男が養子に入った柳田家がもと飯田藩士だったことから飯田に柳田國男記念館があるなど(→●□)、三遠南信をフィールドにしている者には避けて通れない偉人。なにか意外なネタに出会うかもしれないので、行っておかねばなるまい。

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 母屋は平成になって建て替えられたレンタルスペース的な施設ですが、敷地内に残る往時の土蔵が資料展示室になっています。

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 土蔵なのでそんなに広くもないのに、僕の大好物である「ボタンを押すと場所が光ると地図」があったりして、なかなか充実していました。ここで拾った渥美がらみのネタはこちら→●□

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 もう一つは、利根川のほとりの小高い山の上にある徳満寺。ここは、國男が学問の道を志すきっかけのひとつとなった「間引き絵馬」を所蔵しており、本堂に掲げられていて気軽に見ることができました。
 その絵馬は天明の大飢饉の頃のもので、産んだばかりの赤ん坊を母親が口減らしのために締め殺そうとしているところを描いたもの。「『その意味を、私は子供心に理解し、寒いような気持ちになった』と、國男はのちにのべています。(中略)『飢饉を絶滅しなければならない』という思いもまた國男少年をして学問の道にかりたてたのでした」と、利根町教委発行の小冊子「少年柳田國男」(利根町史編さん委員会編、平成2年)に書いてあります。

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 こ、怖い…。

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 あとオマケ。その徳満寺の近くにある、今どき珍しい手書きのバス停。なんと味わい深い書き文字…。
 なお、この栄橋は対岸の千葉県我孫子市布佐との間に架かる橋で、國男の兄の鼎が布佐町長だったとき(鼎はのちに布川から布佐に転居し、國男もそれに付き従った)に架橋を立案したとのことで、いちおう柳田國男の関連スポットということに。
(まさ)
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コメント

ナオ

なかなか
関東平野らしいといいますか、霞ヶ浦近傍らしいといいますか、なかなかいいところでした。官僚エリート柳田国男さん自身のことは、よくわかりませず、「『昭和維新』試論」を執筆した橋川文三さんの柳田国男批判か、網野善彦さんと赤坂憲雄さんの数多くの柳田国男批判しか読んでいませんが、さまざまな凸凹データをせっかく全国から集めながら、平板で一方的なイデオロギッシュな日本単一化の方向性で東北も関西も関東平野も勝手に一つにまとめる非学問的態度はねぇだろう…と。ワタシも、そう思ったもんでしたが、柳田国男さんの暮らしの痕跡とイデオロギーはまた別々でしょうから、展示は展示としてじっくり見てきたもんです。

まさ

批判するなら原典を読まないとねえ…。
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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