FC2ブログ

鷲沢風穴の誕生

 春夏秋冬叢書「そう」64号が発売中です。今号のキーワードは「落」。私は例によって「地名探訪」「三遠南信産××育」のほか、特集の「落人伝説」のうち2本(引佐と遠山郷)を、女性取材記者(まり)は豊田市山間部の農村舞台を取り上げた「奈落」を担当しております。
 引佐の落人の記事では、南北朝時代に今の浜松市北区(旧引佐郡)で南朝方と北朝方の武力衝突があり、戦に敗れた南朝方の兵がほら穴に隠れて難を逃れた…という伝説を紹介しています。その伝説の舞台が、天浜線の都田駅(→●□)から北へ約4km、新東名浜松SAスマートICから西へ約6kmのところにある観光名所、鷲沢風穴(→●□)。

190911-2.jpg

 7年前に何かのついでで訪れて以来、三度目の訪問になります。初めて来た25年前からなんら変わっていないような、手作り感あふれる激シブ物件。個人的には、落人伝説や南北朝伝説よりもここの成り立ちの方が気になるところ。そこで、記事ではまったく触れないけれど鷲沢風穴の歴史もついでに調べてみました。
 観光施設としての鷲沢風穴がオープンしたのは、時代がまだ昭和だった34年前。きっかけは、三遠洞くつ研究会(→●□)がこの洞窟を“発見”したことによります。
 もともとここは水田があったところで、その隅に「中から風が吹き出してくる小さい穴」があったことは知られていました。地元の人はそれを「かざあな」と呼んでおり、それが鷲沢風穴(ふうけつ)の名前の由来になっています。
 この「かざあな」の存在を知った研究会会長の本馬静也氏をはじめとするメンバーが、昭和59年2月、穴の中の調査に乗り出します。堆積する土砂を取り除き、奥へ奥へと掘り進んでいくと、どうやら遠州地方で最大級の洞窟であるらしいことが判明しました。

190911-4.jpg

 風穴の事務所で見せてもらったその当時の写真。こんな状態からよくまあ観光鍾乳洞にまで持って行ったものだ。
 これを見ていた地元の人たちも面白がり、穴掘り&探検に次々と参加します。そうするうちに「コレ、観光でいけんじゃね?」と盛りあがり、昭和60年3月に有志で「滝沢町・鷲沢町観光開発協会」を設立しました。協会と洞くつ研は、観光客を受け入れられるような施設にするべく洞内の整備を進め、プレイベントとして中部洞くつ大会を開催するなど広報活動も展開。そうして昭和61年(1985)4月、ついにオープンこぎつけます。

190911-5.jpg

 見学に訪れた都田中の生徒たち。彼女たちが被っているヘルメットには、浜松市章に「風穴」の文字が入ったロゴがあしらわれており、今も使われています。
 そんなわけで、行政や観光業者の手をほとんど借りることなく、愛好家団体と地元住民の力だけで観光施設を作ってしまったのでした。開洞式の様子を伝える中日新聞東海本社版の記事(昭和61年4月27日付)には「開発協会の山下会長は『三年かかってやっと観光客に見てもらえるまでにこぎつけました。この風穴を観光の目玉として売り出し、地域の活性化につなげたい』とあいさつ。栗原勝浜松市長ら約七十人の出席者が洞くつ内を見学した」とあります。

190911-3.jpg

 そんな手作り名所なので、洞内は手すりやら案内表示やら、全体的に素朴な感じで好感が持てます。奥はけっこう深く、低い箇所もあるので、ゆっくり見て回ると20分くらいはかかります。
営業時間/9:00~17:00(11~2月は~16:00)
定休日/水・金(祝祭日は営業、7・8月は無休)
料金/大人400円
(まさ)

190912-7.jpg
スポンサーサイト



コメント

nao

閉所恐怖じゃケービングは無理だわなぁ。無理で結構。ついていきたくねェよ。
というわけで、洞くつ探検の趣味もない私、まるかど日記男性記者と同様、這う這うの体で穴から抜け出たいタチなのでありました。
非公開コメント

MARUKA-DO

----------------------
東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
----------------------
まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

カレンダー

09 | 2019/10 | 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ

全記事表示リンク