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カンバンの手帖ブログ版0398 & HINOMI

 田原駅前に宿泊した日に行ったのは旧渥美町方面。目的地は畑作地帯だったのですが、旧知のカメラマンYさんから「福江の火の見櫓がなくなったよ」と聞いていたので、チェックに立ち寄りました。

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 場所は、田原方面から見ると国道259号の高田交差点(ショッピングセンターレイの手前)を右に曲がって、100mほどのところ。潮風を浴びてサビサビだったHINOMIが、きれいさっぱりなくなっていました。

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(2007.12.16)

 川のほとりに立つ、雰囲気のよいHINOMIでしたが…。渥美半島でまともな形状の火の見櫓が残っていたのは、ここと旧田原町加治だけだったので、大変惜しいことです(加治の火の見櫓が生き残っているかどうかは未確認)。
 しかし驚いたことに、跡地には「顕彰碑」ならぬ「顕彰カンバン」が設置されているではないか。

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 昨年秋に上村杢左衛門のことを調べに来たとき、福江市街で見かけた史跡案内板と同じものです(→●□)。田原市は実にいい仕事をされておられます。案内板によると撤去は平成30年2月。昨秋来た時はこの道を通らなかったので気が付かなかった…。

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 おまけに、建設年を記した扇形の分団銘板と、製造業者であるヤマ六鉄工所の銘板まで。ヤマ六鉄工所は豊橋市内にあったこの地方の火の見櫓メーカー最大手で、東三河・北遠のHINOMIの多くがヤマ六製でした。

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(2006.02.17)

 そういえば昔はHINOMIの脚元にチューリップが咲いていて、拙著「火の見櫓暮情」でネタにしたものでした。
(まさ)

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火の見櫓暮情(2008/春夏秋冬叢書)


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◎ヤマ六鉄工所に関する覚え書(むかし作っていた自分のHPより抜粋)


 現存する三河遠州の火の見櫓のうち製造業者が判明しているもので、もっとも多くを建設したのが豊橋のヤマ六鉄工所です。数の多さと分布範囲の広さ(最も遠いところで春野町=現浜松市天竜区まで)から、この地域を代表する火の見櫓建設業者といえます。
 2009年6月末までに見つけた資料のうち「ヤマ六鉄工所」の記載があるもっとも古いものは、大正2年のローカル新聞「参陽新報」です。名刺大の枠の広告でした。

 続いて見当たる資料は大正15年版の「豊橋商工案内」。これは豊橋商業会議所が数年ごとに発行している会社名鑑「商工名鑑」の前身となる冊子で、豊橋市のあらゆる会社のデータが網羅されています。ヤマ六鉄工所の項に記載されている内容は以下のとおり。

業種=鍛冶鉄工業
大正15年の営業税額=120円24銭
会社所在地=中世古町
代表者=平石大三郎


 この年の「商工案内」には鉄工業者が6社掲載されていますが、ヤマ六の営業税額はダントツ。豊橋でナンバーワンの鉄工所だったようです。
 また、この冊子にはヤマ六が下のような広告を出しています。
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 社名の上には「鍛冶町」の地名が見えます。鍛冶町はその名のとおり中世から続く鍛冶職人の町で、江戸時代には「吉田鎌」をはじめとする農具の生産が中心でした。推察するにヤマ六鉄工所は鍛冶町で農具生産からスタートし、やがて機械メーカーへと発展したのではないでしょうか。
 営業品目は「汽缶汽機、水車製板精米、ハイトリ器、消防井戸ポンプ並に改良横置ポンプ、軽便消火器兼養蚕植物用噴霧器、繭乾燥機、その他」。このときはまだ「火の見櫓」が入っていませんが、消防関係用具を扱っていたことは注目されます。

 昭和25年の「豊橋商工名鑑」では、ヤマ六鉄工所の所在地は中世古から前田町65番地になっています。空襲などで移転したのでしょうか?
 この年の名鑑にヤマ六が出した広告には、以下のような営業品目が記載されています。

 消防ポンプ、ガソリンポンプ、布ホース、吸水管、消防刺子、
 井戸ポンプ、電動ポンプ、工業用諸皮革、ゴムホース、
 パッキング、ベルト、諸機械工具、鉄管継手類、バルブコック、
 浴場用風呂釜、火の見櫓、製缶仕事、配管工事、半鐘


 ここでついに「火の見櫓」が登場します。現存するヤマ六製は、昭和28年3月建造の湖西市入出東の櫓が最古ですが、昭和25年からすでに製造を始めていたことがわかります。
 また、この品目一覧からは、戦後の復興期に鉄工品製造業の需要が高かったことが窺えます。特に消防関係の品目が多い点がポイント。なかには鉄工所の範疇を越えたものもありますが、これはおそらく、戦前から消防関係に強かったことからそちら方面にルートがあり、代理店業も併せて営んでいたのではないでしょうか。 
 この中に「半鐘」があるのも見逃せません。佐久間町早瀬、相川河内などでは「ヤマ六特製」と記された半鐘を確認しています。ただし、ヤマ六が自社で半鐘を鋳造したものなのか、鋳物メーカーに発注して造らせたものなのかはわかりません。
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(浜松市天竜区佐久間町・早瀬 2008.01.16)


 このように火の見櫓と消防用品の大手だったヤマ六鉄工所ですが、商工名鑑の昭和38年版からその名が消えてしまいます。現存する櫓では、昭和35年1月建造の御津町東金野がもっとも新しいもの。倒産なのか撤退なのかわかりませんが、この直後に廃業してしまったようです。
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(浜松市北区三ケ日町岡本 2007.08.01)

※2009年6月記す
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コメント

すぎやま

とりあえず田原市役所に「いいね!」を。
田原市の民度が高いのか、お役人の中にたまたま、この手の物に
特殊な興味を持った人がいたんでしょうね。
ちょっと予算執行の権限を持った。
たぶん百年も経ったら「火の見櫓」は過去の遺物になってて、コレが奇跡的に
残ってたら、、だれか興味持つ人いるんでしょうか。
いつの時代も変な人がいることを期待して。

まさ

きっと田原市博物館の学芸員のレベルが高いのでしょう。この案内板シリーズに限らず、いい仕事が多い印象です。
非公開コメント

MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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