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佐久間にも弘法

 その松山公園の入口には、このような祠が建っています。

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 何が祀られているのかと中を覗いてみると、弘法さんでした。

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 祠の前には石製の銘板も建てられており、そこには「大正七年仲秋 北遠四国八十八ヶ所親大師」とあります。

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 親大師の横にはコンクリートブロック造りの祠があり、中には弘法さんと該当札番の本尊像も。どうやら松山公園はミニ弘法大師霊場だったようです。
 このあと佐久間図書館で資料漁りをしたところ、昨年刊行された「佐久間の民俗」(遠州常民文化談話会編著)という素晴らしい本に、この弘法さんについて詳しく記されているのをみつけました。本書によると、これは「松原弘法」と呼ばれた霊場で、歴史は以下のとおり。

大正7年 佐久間村・山香村(※旧佐久間町東部)の人たちが弘法大師霊場の開創を企図
大正8年 寄進により石像が建立され、佐久間村の“中部松原”(今の佐久間中・高のあたり)に安置
昭和28年 中部の川原の砂利が佐久間ダムの建設資材として使われることになったのを受け、弘法像を中部の宥泉寺に移転
昭和33年 松山公園の整備・開園と同時に、75体+番外13体を移設
その後、松山公園へ移設されなかった欠番分の弘法像を順次補充

 中部松原は文字通り河畔に広がる松林だったそうで、弘法さんは松林から杉林の中へ引っ越したわけです。また、移転作業は佐久間ダムの工事業者だった間組が請け負ったとか。ダムと縁の深い弘法大師霊場とは、なんともシブい話である。

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 で、佐久間図書館のあと佐久間の集落を久しぶりに徘徊していたら(不審者?)、傾斜地のセコ道沿いに祠を発見。中を覗くと松山公園のものと同じ時に製作された弘法さんがおられました。松山公園に移設されなかったも13体のひとつと思われます。多分、大正時代のこの家の方が像を寄進し、松山公園への移転時に引き取って自分で世話をすることにしたのではないでしょうか。
 こういうミニ弘法は、寄進者の子孫が代々供物などの世話を受け持つ習慣があると聞いたことがあります。山の中の公園まで世話をしに行くのは大変でしょうし。

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 可愛らしく化粧されていました。今も大切にしておられることが窺えます。
(まさ)

◎松原弘法とは別物と思われる佐久間の弘法大師霊場→●□
◎各地のミニ弘法大師霊場
豊橋・日色野八十八ヶ所→●□
大府・大日寺八十八ヶ所→●□
知立・遍照院八十八ヶ所→●□
下山・大沼八十八ヶ所→●□
下呂の八十八ヶ所→●□
布袋・東光寺八十八ヶ所→●□
扶桑・三弘法&二十一大師→●□
豊根・下黒川八十八ヶ所→●□
幡豆郡・三河海岸八十八ヶ所→●□
中世古・清宝寺八十八ヶ所→●□
足助・大鷲院八十八ヶ所→●□
豊川・足山田八十八ヶ所→●□
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コメント

なお

こんなにも88
あったんですね❗ それにしてもよく探したもんだ❗感心致します。また何かの放送番組制作で使わせて下さい。松原弘法も。

まさ

こんなマニアックな話、誰も興味ないんじゃ…。
非公開コメント

MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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