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上重原の田中さん

 またまた重量制限の話でスイマセン。東三河ではなかなか見つけられない(豊川市を除く)重量制限標識ですが、うちの近所の上重原町内で発見してしまいました。

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 猿渡川の支流、法信川に架かる「法信川橋」の2.0t標識です。排水路みたいなこの川は知立市と刈谷市の境界。銘板によると、1976年に刈谷市が架橋したもの。このあたりは台地の下に広がる田園地帯で、最初から耕作者の利用しか想定されていないのでしょう。
 重量制限の話はどうにも掘り下げようがないのでこのくらいにしまして、今回注目したいのはこの橋のたもと(知立市側)に見える木立。ここにはむかし、弘法堂があったそうな。

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 木立の中には、どこかから移設された大正10年の道標と、弘法大師の石像、手水鉢があります。道標の正面には「三弘法御衣木(みそぎ)霊場」、側面には「赤目樫大師」の文字。
 三弘法は、知立・刈谷にある一番遍照院(→●□●□●□)、二番西福寺(→●□)、三番密蔵院(→●□)のからなる弘法大師霊場のこと。三か寺には、弘仁年間(810-824)にこの地を訪れた弘法大師が自作した自身の像が祀られているのですが、弘法大師が逗留して像を作ったのがこの場所と言われています。
 御衣木は神仏像を作る用材のこと。そして赤目樫は弘法大師が使った木です。

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 ほかにも、木立に埋もれるようにして「三河新四国八十八ヶ所霊場 第五十六番札所 赤目樫大師」と記された昭和2年建立の標柱が立っています。
 三河新四国は開創が寛永2年(1625)と伝わり、東西三河にまたがる古い弘法大師霊場ですが、一度廃れて昭和40年代に再興されています。どこかの寺で聞いた話ですが、かつての札所は廃寺や小さい御堂が多かったため御朱印の管理が大変なので、再興にあたって札所を整理し、いくつかの寺院が2つの札所を受け持つようになりました(なので「88か所」と言いつつ65寺を回れば結願)。
 この標柱は、ここが旧「三河新四国」の札所だったことを示す貴重な証拠。現在56番は形原の実相院に割り当てられています。

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 すぐ下の田んぼの中には、もうひとつ木立が。耕地整理前はここまで境内地だったとか。

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 こちらには、大正10年に建立された弘法大師御巡錫1100年記念塔があります。巡錫(じゅんしゃく)は諸国を修行して回ることで、節目の年には各地の弘法大師霊場で盛大な記念行事が行われます。
 ちなみに最寄の重原駅(→●□)は大正12年に開業しており、三河鉄道(名鉄三河線の前身)が作った昔の絵地図などには三弘法とともに赤目樫大師も描かれています。想像するに、1100年のタイミングで赤目樫大師がクローズアップされ、すぐ後に重原駅もできたので、三河鉄道が名所として売り出そうとしたのではないか。三弘法めぐりの乗客を誘致すべく三河鉄道と愛知電鉄(名鉄本線の前身)が宣伝合戦したなんて話もあり、赤目樫大師に行くには三河鉄道でアクセスするしかないので宣伝にはもってこい。

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 三河新四国の納経帳には掲載されていませんが、三河三弘法の納経帳には赤目樫大師の御朱印ページがあります。しかも一番遍照院の前で、印には「三弘法発祥地開創道場」の文字が。そして山号は、重原の地理を見事に一言で表現した「田中山」。
(まさ)
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コメント

nao

よくぞここまでしつこくお調べに。でも、おかげで勉強になりました。ありがとうございました。

まさ

!!!
お元気ですか!

nao

ありがとうございます。なんとか必死にやっております。おりおり、お電話でもください。

まさ

GW中は千葉にいますので、戻ったら連絡します。
非公開コメント

MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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