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樽鉄ハイモス0002

 金原明善の続き。
 二つの頌徳碑を見物したあと、ふらっと樽見鉄道の樽見駅に立ち寄ったところ、駅前広場の一角で村の偉人の銅像を発見。

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 宮脇留之助という人です。さきほど支所で話をうかがった郷土史家の祖父にあたる方だそうで、浜松の明善記念館でもらった資料(岐阜県における明善の足跡と植林事業の経緯を詳細にまとめたもので、前回アップした「新発見の頌徳碑」を建立した水野定次が制作)にも名前が出てくる人。それによると、明善の来村時には自宅に泊めたといい、「翁は常に『行を先にして言を後にす』とよく仰せになりました。翁は日常実際其の通り実行して居られたから頭が下がりました」とのコメントを寄せています。
 そういうことを先に知っていたこともあって銅像にも目が留まったのですが、台座の裏に記された碑文によると、樽見線敷設の功労者でもあったようです。以下、その全文(最近こればっか)。

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宮脇留之助翁顕彰碑文

 氏は明治四年七月 本巣郡根尾村樽見に生まれ十八歳の時 福島県に赴き 養蚕技術を習得し 村民の指導に当たる 日清・日露戦役にも従軍し特務曹長に昇進 勲七等に叙せられる
 一方当時の村民生活の窮状を座視出来ず根尾の開発と発展を念じ 若干二十九歳で村会議員に初当選以来六期又本巣郡郡会議員に初当選以来二期に亘り電信電話の開通道路の改修 治山事業等に尽力するほか名木淡墨桜を中心に一帯の開発を提唱 その実現に努力
 又この間国鉄樽見線誘致のため 村内外の有力者と相提携し猛運動を展開 漸く大正十一年四月大垣 樽見間が鉄道敷設法により 敷設予定鉄道路線に認定され 今日の開通の基礎を築く
 これら公益事業のために全私財を投入 貧苦に喘ぎながらも 根尾村を こよなく愛し 発展を念願し続けた氏は 昭和十八年十月七十二歳の生涯をこの地で終えた こゝに氏の偉業を永く後世に伝えるため 生前の面影を像にして顕彰する

昭和六十三年十一月吉日
宮脇留之助翁顕彰像建立委員会

(※改行筆者)

 建立されたのは、樽見鉄道が樽見まで延長される半年前。没後半世紀を経てようやく悲願が叶ったことになります。もっと早くに顕彰されててもよさそうな偉人ですが、鉄道が来るまで「温存」していたのでしょう。根尾の人も粋なことをするものだ。

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 その樽見線、当初は金沢まで結ぶ計画でした。無謀!敷設が企図されたのは戦前で、今とは経済状況もぜんぜん違いますが、その時点ですら無謀なプランだったとしか思えない。
 しかし、ホームからレールが途切れるほうを見ると、まだ先へ伸ばせそうな感じ。

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 ちなみに、国鉄時代の終点だった神海駅です。こんなところが終着駅だったとは想像できない閑散とした風情で、そして今もこの地域に鉄道が存在しているのはもはや奇跡レベルでは…。
(まさ)
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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