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サヨナラ河合村

 以前、春夏秋冬叢書の「そう」の原稿のために東三河の全小学校の金次郎像を撮って回りましたが(→●□)、今度は岡崎市のシティプロモーションサイト「岡崎ルネサンス」内のコンテンツ「“〇にナる”岡崎まちものがたり”」の記事のために、1月末から2月上旬に10日ほどかけて岡崎市全域をうろつきまわりまって学校の金次郎像を全部撮ってきました。
 2017年1月に刊行された「岡崎まちものがたり」で矢作南学区の編集サポートを担当させてもらった際、市内の学校で一番新しい金次郎像(→●□)と、近くにある石工団地の石材店に保管されている初代像(→●□)の情報を得ており、そこから膨らませた企画です。金次郎像の調査・研究に関しては先達が多く、新発見の像や話題がなかなか出てこないものなのですが、媒体初公開のネタも少し含まれていますんでご覧ください。
 で、ここに書ききれなかったネタ。

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 こちらは岡崎市東部の山間部入口にある河合中学校の金次郎像です。
 金次郎像は資産家や地元有志の寄付により寄贈される例が多いのですが、学校の沿革史によると、この像の設置者は学校所在地の旧額田郡河合村。昭和30年に岡崎市と合併するにあたり、解村記念として村の予算で建てたとのこと。石工は梅園の杉浦銓次。

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 中学校の敷地内には、実に見事な「忠魂庭」もあります。

180304-4.jpg

 これも旧河合村の予算で作ったと思われ、中央の「殉国戦士之碑」には河合の文字が刻まれています(村章?)。
 建立は合併前年の昭和29年3月。忠魂碑と金次郎を同時に発注したか、あるいは忠魂碑の建設予算が余ったのでついでに金次郎も作ったか、どちらかじゃないでしょうか。

180304-2.jpg

 河合村は、学区でいうと生平学区と秦梨学区にまたがり、村域西端の茅原沢で乙川と男川が合流することが村名の由来。旧役場は中学校付近にあり、校門前にある生平学区市民ホームには「岡崎市・河合村合併記念碑」があります。
 ちなみにこの石碑は昭和59年の建立で、昭和の大合併で岡崎市になった旧町村には確かすべて設置されているのですが、なぜ合併から30年近くも経ってから建てたのか謎。
(まさ)
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コメント

すぎやま

岡崎市の金次郎像
「岡崎の“〇”にナるまちのものがたり 」拝見しました。
大変な労作ですね。
私も多少金次郎像に関わってきて、岡崎の金次郎像についてもちょっとは調べましたが、まだまだでした。
まだ行ってない学校が数校ありましたし、矢作西小の「金次郎踊り」など実に
興味深いです。
石都と言われている岡崎での金次郎研究はとても意義があると思いますが、
どうもきちんとした資料が無いようですね。
今回の記事はとても良かったと思います。
今年の冬はとても寒かったので、ちょっと冬眠状態でまったく出かけていなかったのですが、暖かくなったらとりあえず岡崎にいかないと、、と刺激されました。

まさ

ご覧いただきありがとうございます。すぎやまさんや豊川のMさんなど、先に調査をされていた方々の基礎資料があるからこそできた記事で、尊敬&感謝です。
矢作西の金次郎踊りは、金次郎とはまったく関係ない二つの取材から出てきた情報を統合したものです。「まちものがたり」で知己を得た地元の70代の人たちですらもはやこの踊りと歌が存在したことを知らず、掘り起こしたのが10年遅かったかもしれません。
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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