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郡上八幡南町におけるストリート名称の件

 今年は年明け早々に郡上八幡の泊り取材があり、1年半ぶりに市街地を徘徊してみました。
 今やすっかり有名観光地の仲間入りを果たした感のある郡上八幡ですが、真冬に観光客が来るほどではないようで、静かなもんでした。店や施設もこの時期はさほど忙しくないらしく、取材スケジュールが組みやすくてありがたい。遭遇した数少ない観光客は台湾からの1、2組の団体で、なんでも関係者が台湾へジカに営業に行っているとのこと。

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 さて、郡上八幡の町は、大雑把にいうと吉田川を挟んで「北町」と「南町」に分かれています。城の真下にある元からの城下町が「北町」、後から開かれたのが「南町」です。


 「北町」では、本町・職人町・肴町など古くからの町名が今も正式な住所表記として使われているのに対し、「南町」は新町・橋本町を除いてほぼ全域が大字「島谷」になっています(地図の赤枠のところ)。しかし町を歩いてみると、街灯カンバンに通称町名やストリート名が記されており、地名としては表に出てこなくても、細かい町割りに基づいた自治組織が機能していることが窺えます。

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 新町通の南に並行する「上日吉通」。商店が連なり、南町の第二メインストリート的な風情。

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 新町通と上日吉通を結ぶ「大坂町」。郡上市合併前の八幡町が刊行した郷土史「歴史探訪郡上八幡」によると、郡上で銅山を開発した大阪出身の有力者が居住したことが由来とか。

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 新町通と上日吉通の間には何本かの細い筋が通じており、その一角にはこのような住宅表示カンバンも。

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 ここは三本の筋から成る「稲荷町」で、それぞれの筋を一丁目・二丁目・三丁目と称しているのでした。地名も景観もシブすぎる。前出の郷土史本によれば、江戸時代には藩士の長屋があった町とか。
 これらのほかにも町がいくつもあるのですが、さすがに寒いので探索の続きはまた今度…。
(まさ)
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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