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いろはにほーじん0002

 春夏秋冬叢書「そう」57号の地名探訪で、豊川のいろは地名について記事を書きましたが(→●□●□)、義両親が移住した千葉県にも事例があるので、年始に行ってみました。

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 それは、落花生の産地として有名な八街市。「やちまた」と読み、千葉駅から総武本線の普通列車で40分ほどのところです。



 この難読地名は、明治政府が維新の影響で困窮した東京の人を北総に移住させて旧幕府直轄の放牧地を開墾した際、入植開始順に数字+好字で命名された「ナンバリング地名」(初富、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三→●□)のひとつ。八街市では、明治に開墾された旧放牧地の大字がいろは地名になっており、「八街い」から「八街へ」まであります。

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 八街駅前の商店街の電柱カンバンに「八街ほ」が!

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 県道の標識に「八街ほ」が!「ほ」の字面も語感ものほほんとした感じで、悪くない地名ですね。東三河弁の「のんほい」の「ほ」に通じる呑気さがあります(意味不明)。
 いろはにほへ全部の住所表記を集めてみてもよかったのですが、自分のフィールドでもないし面倒くさいからまあいいかな、と…。
 いちおう図書館に行って「八街町史」をめくってみたところ、豊川と同様に、命名の経緯も時期も記載されていませんでした。ただ、少しだけ背景と実情がぼんやりと理解できたので、記しておきます。

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※クリックで拡大します

 八街市域にあった旧幕府直轄放牧地の「牧(まき)」は北部と南部に分かれており、北部は「柳沢牧」、南部は「小間子牧」と呼ばれていました。このうち、いろは地名があるのは北部の柳沢牧のエリア内です。開墾初期に土地管理の都合か何かで、地形的な脈絡はさほど気にせず(平坦地ばかりなので気にしようもなく)線を引き、とりあえず適当にいろは割りをしてみたんじゃないかと思います。
 しかし、開墾が進み移住者も増加すると、適当ないろは割りがコミュニティの実情とそぐわなくなってきたのでしょう。特に、人家が密集する「ほ」と「に」はそれが顕著だったのではないでしょうか。そこで、大字境界を無視して地域を細分化し、一区から七区を設定したようです(ただし、当初は一番、二番…というように「番」で、明治22年にはできていた模様)。
 また、人家の少ない周辺部でも「い」「ろ」「は」じゃ味気ないと住民が思ったのか、い=夕日丘、ろ=西林、は=住野と命名されています。ほかにも「に」「ほ」の一部地域では、分離独立して独自の地名を設定する地区があったり、旧来の集落と合体してみたりと、いろいろあったようです。

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「八街ろ」の落花生畑

 八街市ホームページの「自治会(区)に加入しましょう」のページを見ると、現在も一~七区をはじめとする自治会が機能していることがわかります。おそらく、いろは割りは住所表記上のものにすぎず、八街市民が日常生活でいろはを意識することは昔から今に至るまであまりないんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
 以上、あくまで町史を読み解いて推察したものですので、誤解している部分があるかもしれません。ぜひ地元の方にご教示いただきたいところです。
 しかし、愛知県の人間(わたくし)が、遠く離れた千葉県のマニアックすぎる地名史を考察してどうしようというんだ…。
(まさ)
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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