富士山で迷子はヤバイ

2017年08月25日
 久しぶりに知多四国がらみの話題。
 知多半島の神社仏閣を巡っていると、巨大な奉納絵馬にやたらと遭遇します。どれもこれもたいへん興味深く面白いのですが、僕がこれまで見て回ったなかで一番好きなのが、常滑市西阿野の知多四国第61番札所・高讃寺の絵馬群です。少し前に知多半島南部のローカル媒体で絵馬特集を組み、その中で高讃寺も取り上げたのですが当ブログには出しそびれてしまい、時期的になんの脈絡もありませんがせっかくなので出しておきます。

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 知多四国の寺院の中でもっとも鬱蒼としている高讃寺。

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 この寺の弘法堂に、このように絵馬がずらっと奉納されています。そのほとんどは「富士登山記念」と記されたもの。地元の人が講を作って富士登山に出掛け、無事に帰ってきたのを記念して奉納したものです。
 常滑市南部の西浦地区では明治から昭和にかけて富士山の団体登山が流行したらしく、他の社寺でも富士登山記念絵馬をよく見かけます。隣りの苅屋の人に聞いた話では、昭和30年頃までやっていた青年団もあるそうです(ただし戦後はツアーの慰安旅行みたいな感じとか…)。
 高讃寺の富士登山記念絵馬の凄いところは時代が追えること。装束に注目してご覧ください。

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 明治30年代。菅笠に白装束。

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 明治45年(描かれたのは昭和10年)。股引をはき、菰を背負った姿。

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 昭和11年。白い登山帽にリュックサック。

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 大正6年の一行の絵もあります。これを描いたのはなんと、戦前から戦後にかけて活躍した常滑焼の陶彫家、片岡武正。神明社の狛犬も手掛けた人物です(→●□)。
 ただし制作されたのは昭和38年。なぜ登山から27年も経って絵馬を作り、しかも名工に作画を依頼したのだろうか?誌面に限りがありその謎に迫るまでは行きませんでしたが、気になって仕方がないので、もし情報をお持ちの方がいれば教えてください。
(まさ)

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知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
富士講の絵は保存がよさそうですね。
これだけたくさん残ってるのは素晴らしいです。
富士登山が文化としてある時期続いていたということは
、地域の歴史としてここに残されている。

以前コチラで幸田町八幡宮の金次郎像をご紹介いただき、
拝殿にあった「金的中」の変額が大量にあるのを見ました。
江戸時代から三河では弓の文化があり各地で弓道大会がありました。
的に的中すると神社に「金的中」という額を奉納しました。
神社拝殿はタイムカプセル!ですね。
No title
弓と神社とえいば、飯田市松尾の鳩ヶ嶺八幡宮の境内に設けられた弓道場が使用されている場面に遭遇し、驚いたことがあります(14年前)。

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