ミドルセコ

 春夏秋冬叢書「そう55号」連動ネタ。もう一つセコ話。
 東三河のセコで唯一町名になっているのが、豊橋市の中世古町。ここです。



 本来はもっと大きく取り上げたいところでしたが、ごくありふれた住宅地なので絵になる写真が撮れそうになく、また、全域が区画整理されてて味のあるセコ道も残っていなので、今回はさらっと本文で触れた程度にとどめました。

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 中世古は豊橋の市街中心部の一角にありますが、東海道吉田宿の24町には含まれていません。「角川日本地名大辞典23愛知県」によると、この地名が登場するのは明治28年。もともとは東海道筋の曲尺手町から南に伸びる「猿屋セコ」沿いに家々が集まった地域で、明治後期に町名を整理した際に中世古と命名されたようです。
 ならば「猿屋世古町」や「猿屋町」にすればよさそうなものですが、なぜか伝統地名は採用されませんでした。サルじゃイメージ的にちょっとどうか…という意見が地元から出たのかも。では、なぜ「中」世古なのか?

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 中央図書館で「吉田宿東海道筋町別地図」を見て、ひとつの説が思い浮かびました。
 吉田宿には何本ものセコ道があり、それぞれに名が記されているのでですが、宿場町東部の三つのセコ「龍拈寺セコ」「猿屋セコ」「談合宮セコ」は、セコといいながらいずれも一間(=1.18m)以上あってけっこう広く、宿場町の中で存在感が際立っています。で、その「吉田宿の三大セコ道」の真ん中に猿屋セコがあることから、「中世古」と名付けたのではないかと…。
 由来を書いてある資料を見たことがないので正しいかどうか不明ですが、もし理由を知っている人がいたらぜひご教示ください。

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 かつての猿屋セコに相当する道は区画整理で消滅してしまいましたが、町内に一ヵ所、このような不自然な鉤型の細道が残されています(地図の「中世古公園」のところ)。なにかいわくがありそうですが…。

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 中世古町内の見どころは並んで建つ二つの寺。そのうちのひとつ、真言宗の清宝寺には四国八十八ヶ所霊場の写しがあり、弘法大師&各寺本尊像が雛壇にずらっと安置されてて圧巻です。
(まさ)

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MARUKA-DO

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