ある東西問題

 矢作南のあと、北へ3キロちょいのところに位置する東大友町の盆踊りへ。

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 こちらは大規模な矢作南とは違って町内の盆踊り大会で、こじんまりとしています。当地に民謡の作詞作曲家として有名な方がおられ、その方が昨年発表された「岡崎まつり音頭」も披露されておりました。
 会場は県道26号の一本東の通り沿いにある神明社。小さな村の氏神さんの境内で盆踊りを開催するのは意外に珍しいのではないか(公園や公民館駐車場での盆踊りが多い気がする)。雰囲気の味わい深さも倍加しております。
 小さい神社ながら由緒はなかなかのもの。壬申の乱で敗れた大友皇子は、自害したと見せかけてこの地に逃れ、村人は皇子のために館を建ててここに住まい、皇子は天照大神を祀る祠を建てた。その祠がこの神明社のルーツで地名も皇子が由来…という社伝が境内の案内板に記されています。没後、皇子を祀る大友神社も近くに創建されたとか。

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 神明社から少し南に行くと、住宅地の一隅に「大友皇子御陵」という碑もあります。大友神社は明治41年に神明社に合祀されましたが、この碑はその大友神社跡地に建てられていたものを、宅地か農地の造成に際して移設したらしい。

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 いっぽう、東大友町に隣接する西大友町には、大友天神社という神社があります。こちらの社伝では、大友皇子は没後、小針(西大友の北西)に葬られ、皇子の従者の長谷部信次が皇子を弔うためにこの神社を創建したという。皇子の墓は小針にある古墳群のひとつと伝わり、大友天神社の秋の例大祭に先だって代表者がそちらにも参拝するそうな。
 角川地名辞典によると、江戸時代の初期には既に大友は東西に分かれていました。もしかして東西分断は、大友皇子伝説の本流論争が遠因か!?

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 ちなみに東西のほぼ境界にある郵便局は、東西統合が実現した局名になっております。
(まさ)
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MARUKA-DO

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