豊橋中心市街地におけるストリート名称の件

2016年04月27日
 そう50号連動ネタの「ローカル銀座考」シリーズ。銀座通りを中心とした市街東部に続いて、駅前大通り・R259・R23・大橋通に囲まれたエリアからいくつか。

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 メインストリートの広小路は、明治45年に開かれた「新停車場通り」が起源で、「豊橋百科事典」(豊橋市文化課)によると大正14年に市内線が開通した頃から「広小路」と呼ばれるようになったという。僕は、名古屋の広小路にあやかった名称ではないかと思っていますが、確証はありません。
 現在の住所表記の「広小路一~三丁目」は昭和33年に制定されていますが、それ以前は通称として一~五丁目に分けられていました。「豊橋発展会連盟三十年のあゆみ」が発行された昭和55年当時は、旧通称に則して5つの商店街組織に分かれており、さらに前回書いた「広小路4・5丁目商店街振興組合」があるわけです。あーややこしい。
 写真は広小路の東口(三丁目)。以前はここまで歩道アーケードがありましたが、いつの間にか撤去されていました。

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 R259の西側は「新大手」。この道は昭和24年に開かれており、新大手通りのストリート名もそのとき命名されています。

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(2014.05.31)

 豊橋で少なくなった歩道アーケードが残るのが新本町。例によって「三十年史」によると昭和42年に建設されたのが最初。「三十年史」には、その直前に勃発した下記のような事件について記されています。

 41年町地内に中部電力都市型変電所設置計画を知り商店街の発展を阻害する反対運動で決起して血みどろな闘争を8ヶ月で妥結、中電買収用地の道路側を買収…

 血みどろとは穏やかでないが、学生運動真っ盛りの出来事らしい表現。イケイケな商店街だったことが窺えます。

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 豊橋駅北東一帯の松葉町界隈は、「松葉」を冠するストリート名称がいくつもあって広小路同様ややこしいことになっています(参考→●□)。そのうちの一本「松葉公園通り」。整然と区画整理された中、奇妙にポツンと残された斜めの道です。
 この道は、かつて駅から旧東海道の上伝馬・本町に通じていた「停車場通り」の残存道路なのですが、なぜこの部分だけ残したのか、謎。真実を知っている人がいたらぜひ教えてください。

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 かなり細かく分けられている豊橋市街の商店街/ストリート名称ですが、中には名無しのストリートも。ここは駅前大通りと広小路に挟まれた道で、写真左の豆腐屋さんに聞いたところ「ここが××通りなどと呼ばれていたことはないと思う」とのこと。ちなみに、右中ほどに見える木立は吉田天満宮&白山ヒメ神社で、先にいただいた誤解含みのコメントの「鋳銭所」は白山ヒメ神社にありました。これ由来で旧町名は「新銭町」。

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 というわけでストリート名称マップです。複雑すぎて正確かどうか自信がないので、地元の方に校正をお願いしたいところ。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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