新城におけるストリート名称の件

2016年04月16日
 そう50号連動ネタの「ローカル銀座考」シリーズ。
 伊那街道に沿って東西に長い新城市街地のうち、銀座は新城駅近くの栄町になります。新城銀座の特徴は、一本のストリート名称ではなく、直角に交わる二本の大通りから構成されていること。なので「銀座通り」のようなストリート名称は適当ではなく、かつて存在したタウンアーチには「銀座街」と表記されていました(その写真は樹林舎刊「東三河今昔写真集」「豊川・蒲郡・新城・北設の昭和」などを図書館でご覧ください)。

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 核の一本は伊那街道。一部が蒲郡の防火帯のような店舗長屋ビルになっており、近所の商店主によるとかつてその中に「喫茶銀座」という店もあったそうな。

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 もう一本は新城駅(前)通り。
 二つの道筋が銀座である理由は、これらがひとつの商店街組織であるからです。伊那街道沿いと駅前通りはともにかつては商店数も多かったので別組織でもよさそうなものですが、駅前通りは明治31年の新城駅開業後に発展した新興地域であり、宿場町時代以来の町割りでいうと栄町の旧名「下町」に含まれます。おそらく、旧下町への帰属意識が強いゆえ分離しなかったのではないか。
 下町がいつから「栄町」と呼ばれるようになったかは突きとめられませんでしたが、想像するに、新城駅の開業により商業地化したので、旧来の中心部である「本町」へのカウンターとして「栄町」の名が起こり、戦後、本町やもうひとつの商業地である「東新町」にさらに差をつけるべく「銀座」と名付けたと思われます。
 ただ、銀座の名はどうやら短命だったか定着しなかったようです。現在50前後の商店主に聞いたところ、もう一世代前の人たちが名付けたもので、自分たちの世代では銀座の印象がないとのこと。
 ちなみに昭和50年発行の市勢要覧に商店街が写真入りで掲載されていますが、これには「栄町商店街」のキャプションが付いているだけで銀座の表記はありません。また、昭和44年発行の「新城市商工名鑑」に載っている広告で、所在地を「銀座」としている店舗もありません。

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 栄町に連なる「中町」も、もとは下町でした。大正13年発行の郷土誌には中町も栄町もなく「下町」だけです。いくつかの資料を検討したところ、どうも中町は栄町のカウンターとして発生したっぽい
 中町には両側に広い歩道があり、栄町と商店街組織が異なることが一目瞭然です。たぶん栄町に対抗して整備したのでしょう。

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 栄町は広い歩道がないかわりに、店舗長屋ビルの下にスペースが設けられ「プチアーケード」状になっています。どうでもいいけど、この古びたビニールテントの配色、こちらの商店街とほぼ同じ(→●□)。

160416-5.jpg※クリックで拡大します

(まさ)

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