カー銀座

2016年04月01日
 そう50号連動ネタの「ローカル銀座考」シリーズ。
 本誌発刊後、当ブログでまとめるために収集資料を読み返していたら、うっかりして豊田市内にもうひとつ銀座が存在したことを見落としていました。それは「トヨタ銀座」。
 原発密集地の福井県若狭地方を「原発銀座」というように、トヨタの工場が集中する市域南部のことをこう呼んだ…ということではなく、現愛知環状鉄道三河豊田駅の南にある「みゆき商店街」を昔はこう呼んだとのこと。つい先日廃業した郷土出版社(わたくしの古巣)が1994年に刊行した「図説豊田加茂の歴史」下巻で、昭和の大合併の経緯を解説した項の中で参考図版として「トヨタ銀座」のタウンアーチの写真が掲載されています。

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 三河豊田駅前のロータリーの一角から南へチョロっと伸びているこの道が、どうやらトヨタ銀座のメインストリートだったようです。店は少ないけれど雰囲気が残ってて好もしい。「トヨタ屋食堂」なんてそそる名前の店も現役です。
 この商店街の所在地は旧碧海郡高岡町になります。『高岡町誌』によるとこのあたりは大林の一部で「広漠とした山林原野」だったそうな。トヨタ工場の建設開始が始まったのは昭和10年頃からで、それに伴って宅地開発もスタート。昭和12年に三河鉄道岡崎線が三河豊田駅を開設するころには、親村の大林から駅・工場にいたる幅4間(約7m)の高岡村道ができました。旧銀座のこの道は村道の名残と思われます。
 このあたりの地名は高岡村大林字笹原でしたが、人口増加に伴って昭和17年に笹原単体の集落として独立。戦後、商店街組織「笹原商工会」が結成され、それがのちに「笹原発展会」、さらに「トヨタ銀座発展会」と改称されました。みゆき商店街のHPによると銀座になったのは昭和32年。

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高岡中学校の向かいに残る旧役場の門柱

 碧海郡高岡村は昭和31年の町制施行を経て、昭和40年に豊田市に合併。次いで昭和43年に旧高岡町域で町名整理が行われると、笹原のあたりはなぜか「御幸本町」に改称されました。御幸と言うからには天皇行幸が由来と考えるのが普通ですが、そういう話は手持ちの資料のどこにも載っておらず、謎です。由来を知っている人がいたらぜひご教示ください。
 で、町名に変更に伴って商店街組織も「御幸本町発展会」になりました。すなわち、トヨタ銀座が存在したのはわずか11年ということになります。発展会は平成6年に「みゆき振興組合」に改称し、現在に至っています。
 これがどこのカウンターかというと、挙母の銀座のカウンターということになる…のかな?「あっちは市街地だけど挙母じゃん。お膝元のウチこそトヨタと名乗るべきっしょ?」てな感じで。

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 ちなみに同じ三河豊田駅前でも北の旧挙母町域では「山之手発展会」という別組織になっています。山之手なんて一見安易な地名に思えますが、出現したのは昭和26年頃と意外に古い。親村の樹木(上挙母駅一帯)から見て山之手という意味か?
(まさ)

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西三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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