HEY ! SHU ! CITY

2015年11月24日
 前回の続き。
 大池公園の歴史をまとめたオフィシャルな発行物はないのですが、東海市中央図書館に東海市関連の新聞記事を独自にまとめた「新聞集録 東海編年史」という面白い資料がありまして、その中から大池公園関連の記事だけを抜き出して原稿を作成しました。
 この資料の中に、上野町と横須賀町の合併記事もあります。両町は昭和44年2月に合併して東海市となるのですが、昭和43年付9月19日付中日新聞によると、新市名は合併協議会が多数の公募の中から5つを選び出し、桑原知事に「どれかに決めてくださいマセ」と依頼、知事は「『東海市』か『平洲市』のどっちかがエエんちゃう?」と回答したという。

1511124-1.jpg
(平洲さん)

 平洲は江戸時代後期の学者、細井平洲のこと。偉人が市名なんて斬新ではないか!
 しかし、回答を受けて開かれた協議会では平洲市案が一蹴され、満場一致で東海市に決まったという。まあ、たぶん、東海市が既定路線のデキレースだったんじゃないでしょうか。
 東海市というと「新日鉄の前身である東海製鉄が市名の由来」という説があります。しかしこれは一種の都市伝説とされています。市の公式サイトには「『東海地方を代表するようなスケールの大きい名前である。全国的によく知られ知名度が高い。中部圏の中心となるにふさわしい名称である。』という理由で選ばれた」と書かれていますし。

1511124-2.jpg
(へいしゅうくん)

 この名称について当時の中日新聞は「東海地方のどこかにある都市だということが全国的に理解できる」と書いており、市名決定を受けて桑原知事は「どこにあるかがよくわかる市名で結構だと思う」と中日にコメントしています。東海地方の「どこか」って大雑把すぎ!それに「どこにあるかよくわかる」って、普通わからないでしょう!
 しかし知事の「どこにあるかよくわかる」発言は、東海製鉄の存在が前提ならば理解できます。そもそも合併話は「上野町と横須賀町の境界にまたがっており、固定資産税の課税問題などが解決しないことがきっかけで、合併の機運が盛り上がった」と中日の記事にあります。
 東海製鉄は「中部財界の要請に応じて」昭和33年に設立(新日鉄HPより)。昭和42年に富士製鉄に合併されたものの、名古屋臨海工業地帯と愛知県の自動車産業にとっては象徴的存在であり、これによって人口が激増しひいては市制施行に結びついたことは確か。
 つまり東海市という市名は決して都市伝説ではなく、やはり東海製鉄があってこその名としか思えないのです。財界の無言の意向もあった…かどうかはわかりませんが(ありそうだけど)、製鉄所の象徴性を踏まえていたからこそ、協議会で満場一致だったのではないのか。

1511124-3.jpg
(知多四国82番観音寺より新日鉄を望む 2010.02.05)

 とはいえ僕は東海市の名を否定しているわけではありませんので念のため。市域を表わす伝統的通称地名があればそれを採用すべきですが、そんなものはないのでこれでも別にいいかな、と。
 でも平洲市も、どこか大陸的なおもむきがあって捨てがたいなあ。
(まさ)
スポンサーサイト
知多雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
細井平洲像は東海市平洲小学校にもあります。まさに平洲の名を学校名にしたわけで、授業でも平洲先生の偉業”を教えているそうです。
先日行った三重県鈴鹿市の若松小学校は大黒屋光太夫の出生地ということで、光太夫像がありました。
総合学習で郷土の偉人として教えているようです。
その土地出身者の偉人を教えるということは大変大事なことかと思います。
政治家は別ですけどね。

火の見櫓のサイトで東海市を紹介するページを作って、当然当時の新日鉄の工場の写真を、、、と正門前あたりでカメラを構えてたら門衛がスピーカーを使って「写真は撮らないで!」と怒鳴ってました。恐ろしくなって?逃げ帰ってきました。
あれだけの大企業となると、正門さえも取材許可がいるんですね。
認識不足、非常識だったのかなー。
No title
うーん、正門でもこのご時勢ではマズイと言われればマズイかもしれません。門衛さんが写りますし。
僕はいちおう門衛がいるときは細心の注意を払い、気付かれないようなタイミングで隠し撮りしてサッと立ち去ります。まあ、撮ったところで何かに使うことはないんですが…。

管理者のみに表示