新幹線見物名所0002

2015年10月24日
 まだ続く幸田ばなし。
 昨日の記事で「もともとこのあたり(幸田町中北部)は『菱池』という巨大な池の一部だった」と書きましたが、江戸時代初期から新田開発が盛んに行われてどんどん小さくなり、最終的には明治17年の広田川改修事業で完全消滅しています(神野金之助の干拓事業はこれを受けてのもの)。この時期にはまだ愛知県内で地形図が作成されておらず、最後の菱池の形がわかりません。昭和49年発行の「幸田町史」でも、池の範囲を示す地図や記述はありません。
 しかし、現代の地図を見るとおおよの範囲の見当がつきます。幸田町大字菱池のうち「字菱池」がたぶんそれ。



 ただ、これについても確証はないので、誰か菱池のことを知っている人がいたら教えてください。
 実際に現地に行ってみると、人家が一軒もない見事な田園地帯で気分爽快です。

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 おお、爽快!って、この写真では爽快さがまったく伝わりませんが。正直なところ、幸田にこんな心地のよい場所があるとは思っていなかった。田園風景だけなら碧海台地でも楽しめるけど、山が近いぶんより落ち着いた景観になっている。すごいぞ幸田!(そうか?)
 ちなみにこの道路が大字菱池と大字野場の境界で、僅かな段差は菱池の堤防だった名残と思われます。

151025-1.jpg

 大字菱池の北東端には、幸田の郷土本に「池神社」と紹介されている祠があり(川の合流点あたり)、その傍らに明治の干拓記念碑と、昭和7年の耕地整理記念碑が建っています。未舗装農道未舗装堤防しか通じていないので普通車で近づくのは困難で、こんな見通しのよい平坦な土地なのに隔絶感が漂っているという不思議な場所。
 でもってこの田園地帯の真ん中から南西方向を見ると、新幹線がビュンビュン行き交い、これまた眺めが楽しい。

151025-2.jpg

 美しい…。野焼きの煙が…秋風に揺らぐ釜の湯気のようだ…。
(茶の湯マンガ「へうげもの」の第四巻で、比叡山で負傷した明智光秀が焼け落ちる坂本城を見てのつぶやきより)
 知立の上重原とならぶ(→●□)西三河の新幹線ビュースポットではないかと思うが、どうか?どうかと言われても?
(まさ)
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