田口におけるストリート名称の件

2015年09月19日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」48号連動ネタで、もう一回、田口。
 田口の市街地は南のほうから順に本町、栄町、太田口と、三つの地区に分かれています。ほぼ街道筋にのみ人家が集まる宿場町風の構造なので、××通りのようなストリート名は存在しないみたいです。じゃあ標題はなんなんだって?まァまァ、シリーズってことでサ、ここはひとつ…。

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 本町。「蓬莱泉」の関谷醸造がある地区で、名前のとおりもともとの田口の中心地区になります。明治11年までは「田口町村」でした。

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 栄町。設楽警察署のほか、かつては県事務所、役場、郵便局などが連なる官庁街でもありました。明治11年までは「西路村」で、本町より格下の位置付けだったのですが、北設楽郡役所が置かれてから急速に発展して中心地区の地位を本町から奪ったという、いわば下剋上を成し遂げた町です。「栄」の名はそれに由来。

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 ちなみにこちらは栄町の旧道(設楽署の東側あたり)。現在の国道257号は設楽署の前で滑らかなカーブを描いていますが、その道はかつて、本町から郡役所に通じる「門前道路」として造られた行き止まり道だったのを、昭和のいつごろかに(たぶん戦後だと思うが…)開かれて今のような道路になりました。

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 太田口。明治11年までは「東路村」で、西路村に郡役所が置かれたことで市街地が東に広がり、栄町ともに繁華街として急成長しました。
 いつの間にか地元では「大田口」に変更されたらしく、写真に見えるバス停のほか、国道257号と国道473号の交差点名もそうなっています。設楽町誌や各種資料、国土地理院の地形図などは「太田口」の表記で、たしか名鉄バス時代は太田口バス停だったように覚えているが、ナゼ?
 もっとも設楽町には、名倉に対する大名倉という集落があるし、大のほうがしっくりくる気がするけど。

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 太田口にはもう一つ、交差点のそばに道路元標があることが謎。
 今でこそ二本の国道が交わる地点だけれど、古い地図を見ると、北設の二大巨頭のもう一方である本郷への幹線道路は、ここから少し西寄りで分岐していたらしい。それに上記の歴史を見てゆくと、ここは田口の端っこ。 本来なら本町か栄町に建てられて然るべきと思うのだが。

150920-6.jpg※クリックで拡大します。

 以前、尾張大野の手描き地図を載せたので(→●□)、また作ってみました。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
いやー、「蓬莱泉」の広告オブジェが写ったこの記事見てたら行きたくなって行って来ました。
なぜか奥三河のアノあたりは、何の関係もない私ですが一年に一度くらいは行って見たくなる不思議な地域です。
前から東栄町の旧振草中学校跡の金次郎像を見にいきたかったし。
まぁ、田口あたりは変化なしということを確認して安心?しました。が、設楽ダム出来ちゃったら県道33号線無くなっちゃうんでしょ。今のうちに、、、。当分まだ大丈夫でしょうけど。
大田口から473号線で東栄町に向かったんですけど、驚きましたね。「設楽バイパス」ってのが出来ててあのすれ違えない「堤石トンネル」をパスする「岩古谷トンネル」という長いトンネルが出来てました。峠越えフリーク?としては、あの細くてクネクネするスリリングな道好きだったのになー。

東栄町から151号線で以前お聞きした豊川の足山田公民館前の金次郎像も見てきました。この地区はまだ報徳運動があるそうです。230キロも走ってしまった。
No title
身体が奥三河を求めるので、定期的に行かないとなりませんね。

R473の黒倉地区のバイパス、長いこと工事していましたがやっと開通しましたか。旧トンネルは僕も好きでした。ネットで見たところ、GoogleMapとMapionは未修整で、国土地理院は開通しています。

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