遠鉄バスの90年代、の一部

2015年09月12日
 先日のコメント欄に昔の遠鉄バスの写真のリクエストがありましたんで、実家の資料小屋から探してみました。とりあえずバスの車体が写り込んでいるものから廃止・転換路線や現状とかけ離れているをものを数枚、無造作に選んでアップします。例によってiPhoneでのテキトー接写ですんで、ボケててすいません。
 

(三ヶ日・只木バス停 1992.05.29)

 三ヶ日町内の学輸主体の路線で、たしか只木‐三ヶ日‐本坂という運行系統だったように思います。当時は沿線の大福寺に分校があり、3年生までが分校に、4年生以上が本校の西小にバスで通っていました。写っているヘルメット姿の子供らはバスに乗って学校から帰ってきたところ。これは乗車して撮りました。


(三ヶ日・大谷バス停 1992.10..09)

 こちらも三ヶ日の学輸系統。大谷地区の小学生が都筑にある東小に通うために運行されていました。背景の建物は旧大谷分校校舎で、グラウンドが乗降場兼バス反転場というすごいロケーション。バス停のポールもグラウンドの隅に置かれていました。これは豊橋から自転車で行き、運行時間にあわせて現場で待ち構えて撮ったもの。まだギリギリ鷹揚な時代でしたなあ。


(引佐・田沢バス停 1992.03.09)

 遠鉄最後の愛知県乗り入れ系統で、本長篠と田沢を結んでいた鳳来寺線のバスです。田沢では渋川線と接続しており、鳳来寺線のバスは田沢小学校(現引佐北部小)の先の狭い敷地で反転していました。この路線は旧鳳来町山吉田地区の人が本長篠に出るためのもので、渋川線との接続はほとんど考慮されていなかったような覚えがあります。


(浜松・滝沢東バス停 1992.10.xx)

 都田線のうち、都田駅前から旧浜松市北端の滝沢地区へ行く枝線系統の終点です。沿線には鷲沢風穴(→●□)があり、風穴入口というバス停もありました。途中にあった滝沢小学校は7、8年前に廃校になっております。


(浜松・吉野バス停 1995.05.16)

 三方原の北西に位置する吉野町は現在の花川町になります。吉野バス停は笠井高台線の終点だったのですが、この写真を撮った二日前に花川運動公園まで延長され、バス停も移設されていました。のちに停留所名も町名変更にあわせて「花川」に改称されています。


(磐田・神増原バス停 1994.06.08)

 磐田駅前から磐田市北部・袋井市山梨方面へ行く草崎大藤線の枝線系統です。茶畑の広がる磐田原の北端に位置し、バス停兼反転場も茶畑の脇にムリヤリ設置したような風情。写真だと少しわかりにくいけどバス停板が赤・黄・赤の配色で、遠鉄のイメージカラーである緑色が使われていません。天竜川以東ではこのタイプをたまに見かけました。


(袋井・山梨バス停 1994.01.05)

 その草崎大藤線の終点、山梨バス停と乗務員休憩所です。山梨は大規模な区画整理と県道58号の改修で風景がかなり変わっており、撮影した頃には区画整理事業反対の立て看板がいくつか見られました。山梨バス停じたいは現存ですが、今や当時の面影は皆無です。あと、道路の向かい側には静鉄の営業所もありました。
 90年代のバス停写真は自分でもアホかと思うほど撮っており、キリがないのでまたの機会に…。
(まさ)
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遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
早速の対応、ありがとうございます。どれも貴重な記録ばかりですが、一発目が三ケ日スクール便とは恐れ入りました。この只木、三ケ日大谷専属運用のバスは三ケ日営業所所属車だったと思います。大谷でピースしてた子も30近くになるんですね。鳳来寺線は昔は始発と終車など一部の便が渋川車庫の運用だったとバスの運転手さんから聞いたことがあります。当時は渋川からバスで大野にも本長篠にも行けるというネットワークが形成されてました。ところで田沢辺りって自転車乗るような平坦な地区でしたっけ?このおばちゃんはどこから?神増原は一日に5〜6便しか乗り入れないのに照明設備を設けるところがいかにも遠鉄といった感じ。廃止されて久しいですが、界隈はこの頃よりも民家が増えてます。山梨は確か遠鉄の車庫の敷地は売却、静鉄の反転場を使わせてもらっているはずです。
あまりに画像に夢中になってしまい、長々、失礼しました。
No title
解説ありがとうございます。神増原の照明の件、まさしく!This is 遠鉄クオリティ!

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