さらば旧大嵐分校

2015年08月29日
 水窪市街からさらに北上しまして、HINOMI調査以来8年ぶりに大嵐に行ってみました。
 水窪には二つの大嵐があります。飯田線大嵐駅があるほうが有名ですが今回行ったのはそちらではなく、水窪市街から水窪川を12,3km遡ったところに位置する有名でない方の大嵐です。
 ここへは学生時代の20数年前、同好の友人と水窪の廃校や廃集落を徒歩でめぐったときに初めて訪れたのですが、あまりの僻地っぷりに愕然としたものです。しかし初訪当時には、まだ数軒の民家がありました。集落の中ほどにあった水窪小大嵐分校も、当時はまだ休校状態ながら存続していた覚えがあります。
 8年前にはまだ大嵐分校の建物がありましたが、今回行ったところ、取り壊されて更地になっていた。

150829-2.jpg

 以前はこういう建物がありました。

150829-1.jpg
(2007.08.31撮影)

 今度、実家の資料小屋から現役時代(休校だけど)の写真をひっぱり出してきて、ここにアップしようと思います…って、児童がいなくなって以降の変遷をたどることに意味があるのか。

150829-3.jpg

 ちなみに学校跡地の入り口には、HINOMIではないですが水窪型ホース乾燥塔が残っております。
 大嵐集落の人家跡や畑跡には夏草がオバケみたいに生い茂り、このホース乾燥塔のごとく撮ってもなんなのかよくわかりません。そこで対岸の時原集落(ここは1、2軒が現存)に向かい、その途上の林道から集落の全景を眺めてみました。

150829-6.jpg

 うーむ、消えた廃校校舎といいこの景観といい、思うところはいろいろあるけれど、この時はあまりの暑さに朦朧とするばかりであった。水窪に行くならやはり春か秋だなあ…。
(まさ)

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3冊更新しました。

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0157 伊勢神宮とは何か→●□
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遠州雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
私もちょうど夏に大嵐に行きましたが、建ってるはずの学校がなかったのでガックリして帰ったところです。浜松フイルムコミッションのHPにはまだ掲載されてますね。

あとで地元図書館で調べたところに依ると17世紀の大地震のときにこの辺は山津波が発生して谷間の住民は皆流されたらしいのですが、針間野に逃げ延びた住民が崩壊した斜面の上に新たに村をつくり大嵐と名付けたという話がありました。

針間野はどこから行けばいいのかわからず訪ねませんでしたが、この辺りは山上に小さな集落がチラホラあって散策には面白いと思います。
No title
針間野へは草木トンネル北出口の数キロ先で分岐する「針間野林道」がアクセス道路です。途中ダートで不安になりますが、集落のすぐ上まで車で行けました。大嵐同様、集落跡は草に埋もれているので秋冬が探索しやすいのではないかと思います。

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