伊勢知多タートルブリッジ

2015年04月02日
 間が空きましたが二見浦の続き。
 前回、海辺の園地に埋まるカバの写真を載せましたが、明治42年、ここで海に放された巨カバならぬ巨カメが、対岸の知多半島に打ち上げられたという記録が残っています。そして、昭和初期に造られたそのカメの等身大セメント像が南知多町豊浜小佐の浄土寺(知多四国番外札所)にあります。

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 かわいい、かわいすぎる!
 このカメのいわくは以下のとおり。

 カメを放したのは谷村佐助という伊賀上野の豪商。この人は、長患いで余命いくばくもないとき、大海龍大神なるカメの姿をした神様が夢枕に現れ「我を17日間一心に拝めば病はたちまち治るだう」と告げられた。
 そこでカメを探しに番頭を伊勢へ派遣したところ、二見浦で網にかかった大きなカメに遭遇。これぞ例のカメに違いない!と思った番頭は、大金を出してカメを買い取り、列車の貨車に積み込んで伊賀上野へ移送。佐助はそのカメに注連縄を巻いて祀り17日間祈り続けたところ、あら不思議、病はすっかり完治した。

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 喜んだ佐助氏はカメの甲羅に、自分と一族の名前とともに「奉大海龍大神」と書き、二見浦から亀を海へ帰した。その9日後、豊浜村の小佐に打ち上げられたところを村人に発見される。村人はあわてて浄土寺の和尚に連絡する。和尚は昨晩、白髪の老人となった亀が夢枕に立ち「我を祀れば所願成就するであろう」と告げられていたので、たいそう驚いてカメを境内に運ばせたが、カメは死んでしまった。

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 和尚はカメの墓を建てて供養し、「大海龍亀大菩薩」と名付けた。やがてその霊験が広まって参拝客が増えると、大海龍亀大菩薩は「お亀さん」と呼ばれて親しまれるようになった。
 昭和初期に伊賀上野の谷村佐助や、信仰したら坐骨神経症が治ってしまった三河新川の瓦職人らが寄進し、本堂の傍らに「龍亀堂」が建てられた。カメの像もその頃に作られたもの。

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 てな話を、少し前に知多半島南部限定のローカル媒体に書きました。こんな具合に無節操にエリア横断して取材していると、いろいろつながるものである。つながってないか。

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知多雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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