金次郎メーカー

2015年03月26日
 春夏秋冬叢書の季刊誌「そう」46号の連動ネタ。
 二見興玉神社の鳥居を製造した杉田石材店は、柱の銘では所在地が「花崗町」になっていますが、現在は稲熊町に造成された「石の公園団地」にあります。ここは高度成長期、江戸時代以来の石屋街だった花崗町で粉塵が問題になったことから市内二か所に造成された業者団地のひとつ。上佐々木町の「石工団地」の横は車でよく通るのだが、山の中のどん詰まりにあるこちらはには、今まで一度も来たことがありません。

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 石だらけ!なんか楽しいぞ。

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 杉田石材店では、二見興玉神社の話を聞いたあとにプチ工場見学をさせてもらいました。いやー、石マニアにはたまらない光景ですネ!
 会長の奥さんに案内してもらいがてら、あれは蛭川石、これは××石などといろいろ教えてもらったのですが、製品が多すぎて忘れてしまった。やはり、石だけ見てどこの産地かわかるようにならなけばいけない(何を目指しているのか)。
 事務所では昭和初期に制作されたカタログも見せてもらったのですが、製品ラインナップにぶったまげた。

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 なんと、主力製品として二宮金次郎がどーんと1ページ大で掲載されているのである!
 東三河の金次郎像を一挙に載せて読者を唖然とさせた「そう」43号(→●□)に書きましたが、全国に二宮金次郎像が置かれるようになったのは、昭和初期の不況打開策として岡崎の業界団体が金次郎の石像を企画販売したことがきっかけとされています。その一翼を担ったのがこちらだったわけです。
 杉田石材店では戦後も金次郎像を手掛けたそうで、会長さんの話では昭和30年前後に需要がものすごくあったとのこと。

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 さらには弘法さんも!大正から昭和初期にかけて四国八十八ヶ所の写し(ローカル八十八ヶ所→例●□、ミニミニ八十八ヶ所→例●□など)が全国的に流行しており、発行時期とぴったり重なる。
 そんなわけで今後の金次郎像&弘法像調査は、このカタログと同じ形の像を探すことに精力を傾けなければならなくなったのである。
(まさ)

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西三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)
Comment
こちらの石工団地には行った事無いです

上佐々木町の方はもうすぐイベントですね

昔、母の実家辺り(梅園町)に石屋が多くあって遊びに行っても石を切る音が日曜でも鳴り響き嫌でした~
今は静かな街になりましたが
No title
へえ~。粉塵よりも騒音が問題だったのかもしれないですね。
No title
杉田石材店の製品カタログは貴重な資料ですね。
足元に切り株の無い造形です。
昭和初期の石像は二本足で立ったのが多かったようです。
昭和3年の岡崎聾学校の金次郎像が岡崎の石像の最古だと言われています。
これはおそらく劣化で足が折れてしまいコンクリートでひざから下が固められています。昭和4年建立の清洲小学校の像は補強されて哀れなほどひどいことになっています。二本足で立たせるのは難しかったようですね。バランスの点でも。
杉田石材店にはぜひ行かなくては。
No title
返事が遅くなりスイマセン。
西三河で足の切り株がないもを洗い出さないといけませんね。
杉田さんに行かれる際は先方に話をしておきますので、ご連絡ください。

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