前回の続き。
常滑陶彫の取材では、昭和の名工・柴山清風の作品を展示するギャラリー「清風の陶房」にも行ったのですが、その時「清風作の観音像が本宮山にあったのだけれど、戦後間もないころ何者かに壊されてしまったようで…」という噺を清風のお孫さんから聞きました。
ここでいう本宮山は、三河のあの山ではなく、常滑南部の山のこと。

この写真でどこかわかる人はよほどの知多マニア、あるいは完全に地元の人。山というか、半島脊梁部の丘の出っ張りみたいな感じですが…。常滑のピアゴからR247を2キロほど南下して、武豊方面にちょこっと入ったあたりで、地名では樽水になります。
数年前に「知多半島の昭和」という古写真集を作ったとき(→
●□)、戦前この山頂に建てられていた「航空灯台」(夜間飛行用の電光標識のようなものらしい)の写真を何枚か見かけました。鄙には珍しい大型構造物だったので、地元では名所的な扱いをされていたらしい。また、山頂には樽水の人の信仰を集める本宮神社もあり、この地域のシンボリックな山です。
で、その古写真集取材のときに初めて本宮山の存在に気が留まり、いったいどんな山かいなと行ってみました。車道が通じてラクに山頂まで行けるので(徒歩だったら登らなかったかもしれない)。その時、境内地の入口でこのような石碑を見かけました。

大きな板碑に「護国観音」とだけ刻まれている。なんじゃこりゃ?と疑問に思いながらそのときはスルーしてしまったのだけれど、清風の陶房で話を聞いて「ああ、あれのことか!」とようやくわかった次第…って、前振りが長いね。

せっかく話をうかがったので改めて見に行ってみると、石碑の傍らに小さい観音像を発見。て言うか、前来た時に気付けよって話だが。ここにあった観音像の縮小モデルらしい。
護国観音は昭和14年に製作で、誰がなぜ壊したのかは定かではないらしい。「護国なのに戦争に負けるってどういうこったい」と、敗戦の腹いせにぶっ壊した罰当たりな阿呆いたのだろうか…。なお、戦時中に壊されたという説もあるようで、詳細は不明。

なんともシブいネタ…というか少し残念な話なので、参道の途中から伊勢湾の眺望を楽しんで心を慰めたのであった。なお、山頂からの眺めは、生い茂る樹木のせいであまりよくないです。
(まさ)
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コメント
harubon
何処らあたりか わかりますよ♪
本宮神社だったかな?
以前から 気にはなっていたけど...
いつも横目に見ながら
通り過ぎて行くのでした (^^;
2014/09/27 URL 編集
まさ
2014/09/27 URL 編集