北総 de 三河発見DEN

2014年09月04日
 先日、岡崎市中央図書館の郷土資料コーナーで「印旛沼開発史」という本を見つけました。千葉県の印旛沼(→●□)は5月に行ったばかり。なんでまた、岡崎とまるで関係のなさそうな印旛沼の資料が置いてあるんだ?と思ってパラパラめくってみると、明治時代、高須(福岡町)出身の織田完之(おだかんし)という内務省の官吏で農政研究者が、印旛沼の干拓事業に関係したという。
 開発史によると、昭和45年に本書編纂のため千葉県佐倉市在住の編集委員が来岡し、織田完之の実家で資料調査をした際、その敷地内に完之の顕彰碑が建立されているのを「発見」。進言して、翌年、人目に触れやすい高須の神明宮に移設されたんだそうな。なんともマニアックな話である。
 今年初めて印旛沼と干拓地を目にし、字面や「沼」のイメージとは裏腹に意外と美しいことに感銘を受けたわたくしは、さっそく高須の神明宮に行ってみました。

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 高須は福岡町のなかほどに位置しています。大雑把にいうと、県道43号と78号が交差するあたり。さらに最近、R23西尾東インターとR248を直結するバイパスが、高須地内をぶち抜いて全線開通しました。
 神明宮は新旧43号が交わるあたりに鎮座しています。ご覧の通り、ごく普通の小さい神社。

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 その一隅に、生家より移設された件の顕彰碑が!

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 難しくて読む気にならない漢文調の碑文に、印旛沼の文字が!いやー、なんというか、マニアックすぎて「へぇ~」くらいしか言葉が出てきませんが…。
 なお、完之は干拓事業の再興(江戸時代にも計画があったが完成せず)を目指して、明治21年に「印旛沼開削発起人会・大明会」を結成し実地測量に奔走、そして明治32年には調査報告書を上梓。しかし「干拓しよまい!(三河弁)」の気概もむなしく、その計画は頓挫したそうな。うーむ。 



 でもって、やっとこさ工事が行われたのは、戦後だそうです。写真は印西市の「山田干拓一区」というところ。
 完之と印旛沼については、暇ができたらいずれ調べてみるかもしれません(みないかもしれません)。
(まさ)
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