ザ・マーケットプレイス

2014年08月18日
 前回登場した粕川オートキャンプ場の所在地は瑞岩寺になりますが、その対岸の集落は「市場」といいます。今でこそアレですが(純地元なんで婉曲的に…)、僕が小学生だったころは集落の名のごとく商店が何軒もあり、なかなか活気のあるところでした。
 思い出してみると、菓子屋×2、酒屋、八百屋×2、仏壇屋兼玩具屋、豆腐屋、蒟蒻屋、電機屋、床屋&パーマ屋×4、自転車屋、時計眼鏡屋、旅館兼食堂…と、なかなかの商業地っぷり。とりわけ2軒ある菓子屋、杉山商店と伊吹堂にはしょっちゅう出入りし、杉山さんではチョコバット、ヨーグル、パンチコーラ、3個つなぎのチロルチョコ、マルカワのフーセンガム等を、伊吹堂では瓶の7upやコーラをよく買ったものです。

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 この集落はR417から旧春日村へ通じる街道(県道32号春日揖斐川線)沿いの商業地として栄えました。役場はないものの旧揖斐郡小島村の中心地の役割を担った集落でもあり、小島郵便局、小島駐在所、消防団小島分団の中核車庫もあります。いずれも村外れに移転しましたが、20年ほど前にはこの写真の三差路あたりに3つとも集まっていました。
 なお、写真の道は県道32号ですが、戦前の郷土資料を見ると「西山街道」と書いてあります。古くは、揖斐から見て粕川流域を西山、揖斐川流域を北山と呼んでいたらしいのですが、今では全く通用しない呼び方で、西山街道も5年前に死んだ大正生まれのウチの爺さんですら「そんな名前は知らん」と言ってござった。

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 市場の集落規模の大きさは、地元でしか通用しない通称地名が物語っています。僕が子供のころには小島小学校の通学分団として、街道筋の上・上中・中・下の各市場に加えて「裏町」がありました。上の写真は裏町。今から考えると、的を射ちゃいるけどなかなかの名前だ。

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 そして、もっとも春日寄りの地区は「新丁」といいます。すなわち、ニュータウンである。 
 ここはかつて春日村に属し、昭和の大合併のすこし後だったかに揖斐川町に編入されました。対岸の瑞岩寺には、かなりの数の従業員を抱える日東あられ本社工場(平成3年に倒産)があり、新丁にあった油屋商店は終業時間頃などけっこう繁昌していたものです。

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 新丁と瑞岩寺は瑞岩寺橋が結んでおり、橋のたもとには新丁バス停があります。35年前には、近鉄バスの揖斐駅前発春日方面行きのうちたしか朝夕1本、ここ止まりの便がありました。さらに時代を遡ると、橋を渡って瑞岩寺へ行き、沓井を経て揖斐駅前に戻る循環系統もあったとか(高校のときバスの営業所に行って調べたけど、うろ覚え)。そして、バス停の脇には鉄製の火の見梯子もあったなあ。
 新丁と瑞岩寺の子らには校区の最果てという仲間意識があり、よくつるんだものです。今は子供が少なくなり、悲しいことに分団も統合されてしまったという。
 え~、以上、キャンプに来られた方にはぜひ知っておいてほしい、ということはまったくない地元情報でした。 
(まさ)
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Comment
旧小島村の役場は何処にあったんだろうか
結構、久し振りの書き込みです。
先々週、春日の貝原棚田と上ヶ流の茶畑を見に行く際に此の近辺を通っているんですが、旧小島村の役場って何処ら辺にあったんですか?

そういえば行く途中に、日東あられ工場の骸がありましたね。
此の会社、日東あられ新社が池田町にありましたが、
此方も潰れて錆だらけの残骸になってますよね。何か勿体無いですね。

時たま、此処の日記に訪れてますが、
お子さん、何時の間にか大きくなりましたね。
何年か前にコメントを書いた際、「うちの姪っ子と年同じくらいですね」と言うような事を書いた覚えがありますが…覚えてませんよね?
No title
旧小島村役場の所在地はたしか農協のところだったと聞いています。田舎によくあるパターンで役場・小学校・農協の三点セットが一ヵ所にかたまっていた典型ですね。旧小島村は核となる集落がなく、村域のど真ん中の田んぼしかないところにまとめて三点セットを設置したわけです。

春日に行く途中で見られた川べりの日東あられは「本社工場」と呼ばれていました。廃業後はイノアックの子会社のカンバンが掲げられていますが、活用実態は不明です。まあ、こんな場所じゃ使い勝手も悪かろうし、半永久的にこのままのような気がします。

姪っ子さんの話は覚えてますよ。どこでコメントいただいたか忘れただけで…。

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