道標地蔵たち0005

2014年06月30日
 春夏秋冬叢書「そう43号」連動ネタ。
 今回の地名探訪で取り上げた「金地名」の旧御津町の金野は、前にも書いたように(→●□)金割と灰野の合成地名で、現在は西金野、東金野と通称されます。そして灰野はかつて、県道373号から5百メートルほど北に入った山の中にありましたが、昭和41年までに全戸移転してしまいました(先の記事では昭和30年代とぼやかしていましたが、広報みと第84号に灰野について書かれたコラムを発見し、移転の正確な年が判明)。

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県道373号と東金野のHINOMI
 
 なぜ移転したかというと不便だからで、なぜそんな不便な場所に集落があったかというと、以前は幹線道路に近かったからです。
 その幹線道路とは、御油~金野~西郡(にしのこおり=今の蒲郡中心部)を結ぶ道。御油はむかし郡役所があった宝飯郡の中心都市、西郡は「西宝」と呼ばれた宝飯郡西部の中心都市。つまり、宝飯郡の主要2町を最短距離で結ぶ道だったわけです。
 その名残で、このルートは今も県道368号(豊川蒲郡線)となっています。しかしそのうち、御油の「東三河ふるさと公園」から東金野までは、自動車が通行できません。「酷道」の県道版ですな。ルートはこちらを参照→●□。Googleマップでは、ある程度の縮尺以上になると道が太く表示され、さも車道のようになってます。Googleマップはたまにこういうテキトーなところがありますね。
 で、三年前はその街道を辿っていなかったので、今回歩いてみました。「灰野坂」と呼ばれていたそうな。

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 今の東金野から少し入ると、道が二手に分かれます。左へ行くと灰野の廃集落、右へ行くと御油方面。分岐点には祠があります。地図上の左のピンのところ。

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 中には文政年間に建立された馬頭観音が。判読しづらいですが「右 御油/左 作場」と刻まれています。作場は畑のこと。
 右へ進むとやがて木立の中に伸びる緩い登り坂になり、15分ほどで灰野の廃集落方面からの道と合流し、掘割になったサミットへ。

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 おお、なかなか街道風情があるぞ。この合流点にも祠があり、先と同じく文政年間の馬頭観音が。地図上の右のピンのところです。

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 こちらには「右 かう中…/左 西之郡」の文字。かう中は「郷中」、つまり灰野本村のことか?西郡は、明治初年に蒲形と合併して「蒲郡」となりました。どうでもいいけど、蒲郡という地名は秀逸だなあ。「小市民」がヒットした頃に嘉門達夫が「ジミ、ジミ、地味な地名、ガマゴオリ、可児市」などと歌っていたことを思い出します。

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 旧御油町と旧御津村のちょうど境には「御津村大字金野」と記された境界票もあった。シブいねどうも。
 この灰野坂、けっこうお手軽に廃れた街道や廃集落が楽しめますし、街道マニアやヒマで何もすることがない人などは、行ってみてもいいんではないでしょうか。ただ、これからの時期はヤブ蚊がすごいけど。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)
Comment
すばらしいっす!
あかん、この記事はそそる!
近場にこんなところがあるとは、行くしかないじゃん!
No title
面白い区間の距離が短いので物足りないかも?御油から蒲郡まで歩き通してみてくださいませ。
意識の問題
短いのでいつでも行けるっていうメリットはありますが、どうやって戻るかが課題ですな。東海道が大阪あたりまで同じような認識で運用されていたように、姫街道の延長なんていう意識が当時あったんですかね。
No title
無駄にデカてネーミングがちょっとアレな「東三河ふるさと公園」の出入口が金野と豊沢の境にあるので、話の種に行ってみて御油側から出てくるのももよいでしょう。
姫街道の延長という意識は、道の格的にどうでしょうかね…。鉄道開通以前なら、蒲郡の人が豊川稲荷への参拝に使うことはあったと思います。

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