足っ苦素

2014年06月24日
 ふたたび春夏秋冬叢書「そう43号」連動ネタ。東日本大震災を受けて、旧渥美町の3校を統合して高台に移転するという話が進んでいますが、それと関連するような関連しないような話、って、じゃあなぜ振るのか。
 渥美半島は意外にも戦後に小学校の統廃合がほとんどなく、たしか唯一の事例が蔵王山の北東にある童浦小学校です。この学校は昭和43年に田原西部小と田原北部小が統合して誕生しました。童浦小には、現校地のやや北(今の保育園、市民館)にあった旧田原北部小の金次郎像が移設されています。
 もうひとつの田原西部小は、白谷地区の高台にありました。立派な公園が付設された白谷海水浴場のある、海辺の集落です。

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 こういうところ。手前の椰子は白谷海浜公園。背後の白い岩肌は石灰採掘の跡で、地質が白いので「白谷」の地名がついたそうな。山の反対側には現役の石灰石鉱山があります。
 で、10年くらい前に旧田原西部小へ来た時には金次郎像を見た覚えがなかったのだけど、とりあえずチェックだけしておこうと今年の2月に行ってみました。

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 跡地は公民館になっており、門柱と校舎の一部が残存しています。狭い敷地を改めて眺めまわしてみると、なんと片隅に金坊の残骸が!

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 残っているのは台座と足の下のほうだけ。足首より上はどこへ行ったんだ!?学校の怪談になりそうである。
 学校の怪談といえば、われわれ昭和50年代の小学生は口裂け女話で持ちきりでしたね。なんでも岐阜県内の小学校が噂の発信源だったといわれており、「地味な県なのに全国区のネタを提供するなんてすごいぜ!」と小学生のときテンションがあがったことが懐かしく思い出されます。

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 ここでは金次郎像の遺構のほかに、斬新なブランコを発見。当時の飼育係がウサギに芸を教えるのに使っていたということです。
(まさ)

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東三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)
Comment
No title
足だけの元金次郎像はいくつか見ました。
何かの理由で壊れたのか壊したのか、その後再建する気運が
盛り上がったのかどうかと、色々な状況が思いめぐらされます。
でも、もうそんな昔の事誰も知らなくなっちゃってる時間の経過を
痛感させられますね。
校長室に頭だけ保存してる、、っていう思い切った趣向の学校も
ありましたけど。
No title
小学校で頭だけというのは、なかなかどうも、シャレになりませんね…。
むかし信州の某出版社が、郷土の有名彫刻家の「子供のアタマ」の作品をレプリカにして売り出したところ、ぜんぜん売れなかったことを思い出しました。誰がそんなもん買って家に置いておきたいのかと。
No title
金次郎像の造形上 頭部が折れてしまう事はたまに有ったようですね。
子供たちが遊んでいてドッチボールが当たって折れたという話も聞きました。
首に補修した跡が残ってるのも数体見ました。
劣化で倒壊した像を処分する時に、せめて頭部だけでも保存、、、って事じゃないんでしょうか。
金次郎像のほとんどが、地域の篤志家に寄贈されたといういきさつもあるのかも。
でも、訳の分からない人には異様な感じでしょうね。信州の話も。
No title
ドッジボールが当たって首が折れた!トラウマになりそうな事故ですね。

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