スタンディング・オン・ザ・TBT

2014年06月21日
 今度は金次郎像で「そう43号」連動ネタ。
 東三河の廃校における金次郎像探しでは、学校の名残がほとんどないようなところに立っているものにも遭遇しました。そのひとつが豊橋の町のド真ん中、旧狭間小学校の金次郎像。

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 現在は名豊ビルと、その裏の「狭間児童広場」がある場所が学校の跡地になります。名豊ビルの竣工は昭和43年。昔はたんなる「地味なビル」にしか見えませんでしたが、年月を重ねていい感じに味わいが出てまいりました。小学校があったのは昭和24年までで、松山小学校に吸収合併されて廃校となっています。
 旧狭間小学校の金次郎像は、児童広場の片隅に立っておりました。

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 この像、以前は名豊ビルの玄関前、すなわち駅前大通りにあり、大学時代に初めて見たとき「ナゼ?」と思った覚えがあります。像の傍らに建立された碑によると、廃校後はそのまま放置され、のちに松山小に移設。昭和60年にもともとあった場所である名豊ビル前に再移設し、さらに平成17年に現在地へ再々移設されたそうな。
 ところでこの名豊ビル&児童広場の地下には、かつてバスターミナルがありました。確か今は月極駐車場になってると思います。実家で古いアルバムを漁ったら写真が出てきたのでご紹介しましょう。なお、iPhoneでテキトーに接写したのでぼけてます。


(1994.09.30撮影、以下同じ)

 正式名称は「豊橋市バスターミナル」。この明朝系の書体が、いかにもザ・昭和40年代。
 当初は豊鉄だけでなく遠鉄や名鉄(のちのサンライズバス)も乗り入れていたようです。大むかし豊橋~東栄~豊根の特急バスが運行されていた時代があり、それもここ発着だったはず。なお、二川、新居町へのJRバスは豊橋駅に出札窓口があり、BTには乗り入れていませんでした。



 なんか薄暗かった覚えがあるけど、こういう雰囲気は「バス旅の始まり」って感じでなかなかいいですね。と言っても僕は、小松原街道沿いの西の原バス停近くのアパートに帰る際、1回だけしかここを利用したことがないですが。
 たしか当時、豊鉄はBT始発と駅前始発の2パターン態勢になっていましたが、どういう棲み分けだったかあまり覚えていない(長距離路線では、田口行や富岡経由新城行きはBT発、渥美半島行きは駅前発だった)。最初から豊橋駅前に集約すれば便利なように思うけど、駅前広場がバスターミナルとして全面活用できなかった何らかの事情があったのでしょうなあ。



 この売店なんて旅情ありまくりじゃないか。中央牛乳やヤマサのちくわの冷蔵ケースまで置いてある。田口方面に帰る人が、お土産にちくわを買って帰ったのか。酔っ払ってご帰還の波平が家族へのお土産を手にしているように、あのヤマサの包みを…。
 市制百周年記念本の「豊橋百科事典」によると、バスターミナルが機能していたのは昭和44年から平成18年までとのこと。意外に最近まで使われていたとは驚いた。
(まさ)
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東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
BTには
「そこにガムの自動販売機があっただよ!」と妻がうるさいです。
No title
ガムの自販機!さすがTBT、レアなものが置いてあったんですね~。貴重な情報をありがとうございます。いずれ原稿にする際は使わせていただきます(たぶんそんな機会はないけど)。

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