山上のゴールデン次郎

2014年06月18日
 前回に続いて春夏秋冬叢書「そう43号」連動ネタ。
 廃校マニアのワタクシ、これまでに奥三河のほとんどの廃校を回ったつもりでおりましたが、金次郎像チェックのために改めて廃校の所在地を確認していたところ、東栄町の西薗目小学校跡がノーマークだったことに気が付きました。どこかというと、東栄町役場から国道473号を浦川方面へ4kmほど走ったところで大千瀬川支流沿いの道に入り、1キロちょい走って急坂の枝道に入り…って、地図を載せたほうが早い。



 とにかく山奥なのである。まあ奥三河は全部そうか。
 西薗目の特徴は山の急斜面に小集落が散らばっていることで、一番下の民家と一番上の民家の標高差は200mくらいあります。さらに、山の尾根の向こう側にも小集落があったりして、図にするとこんな感じの、なかなかダイナミックなところです。

 霜栗                 /\
                 文/    \小田敷
  上         若竹/         \ →至ル東薗目
  貝  西      / 元平
\ 津  薗     /
  \  目 平 /
    \川 瀬

 うーん、これではダイナミックさが伝わらない。しかもスマホ画面では図が崩壊しとるやんけ。PCでご覧ください…。
 西薗目小学校があったのは地区の最高所。なんでまたこんなところに作ったのか。川の西側の子供なんか、一回谷底まで下りてまた山頂手前まで登らなければいけない。昔の子供はすごい。
 西薗目からの登り道はなかなか狭く急で、山道に慣れていない人にはちょっと大変だと思います。木立の中をぐんぐん登ってゆくと、やがて視界が開けて若竹集落。

140618-1.jpg

 集落といっても3軒くらいしか見当たりません。奥に見えるのは、川向うの山の斜面に建つ民家。目と鼻の先なのに、そこからここまで歩いて来ようと思うと1時間はかかります。
 ここからさらにちょっと登ると、目指す小学校跡を発見。

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 八幡神社の横にある広場が学校の跡地になります。白い建物は老人憩いの家で、学校跡地の碑が建っています。廃校は昭和34年だけど、碑の建立はおそらく最近。

140618-3.jpg

 肝心の金次郎像は、杉林を背にポツンと立っておりました。背景とほとんど同化しています。55年もひとりぼっちでなあ…。

140618-4.jpg

 このあとは峠を越え、上の写真の小田敷集落を経て東薗目へ。なお、和太鼓プロチーム「志多ら」の稽古場になっている旧東薗目小は、金次郎像不在です。
(まさ)

140615-3.jpg
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東三河雑 | Comments(4) | Trackback(0)
Comment
No title
廃校探しは危険な時があります。
私が西園目へ行ったのは2010年5月でした。
前日に大雨・嵐があったのか道路が木の枝や葉で見えない状態で。
あちこち崩壊してるし。これは怖かった。まだ憶えてるくらいですから。
たしかに東栄町でも特に山奥深いところですね。なかなか着かない。
どこ走ってるのかもよくわからないし。
あんな山奥の道路整備は、県道だから県に移植された地元の業者がやるんでしょうね。
廃校めぐりは、面白いけどちょっと悲しい。
私が参考(ココが頼り)にしてるサイトです。

http://haikou.jorougumo.com/
No title
僕が行った時も枯れ枝が道路に散乱していました。こういうところへは、本当は歩いて行きたいのですけどね。若いときは歩いて廃校や木造校舎めぐりを友人としたもんです…。
No title
廃校と二宮尊徳探しの旅(?)は、いつも堪能させてもらっています。茶禅一で蕎麦を食ったあと、花祭りの写真展を見に廃校の資料館へ行ったりしますが、あのあたりの風景は不思議な感じがします。さて、二宮尊徳探しですと、三河報徳社の本社跡に建つ、老けた二宮尊徳さん石造は、どこかで紹介されたことがありますか?http://www.net-plaza.org/KANKO/shinshiro/siseki/houtokusha/index.html 遠州~東三河、南信州一帯に広がる報徳思想は、学問的領域のなかで、もうちょっと深く調べられてもいいのではないかと思ってきたのですが、何か参考になる図書はないんですかねェ?
No title
存在は聞いていますが未訪です。次に取り上げる機会があるかな…。報徳思想じたいについても、実はあまり調べていないです。お膝元の遠州方面ではまだけっこう活動が盛んと聞いたことがある程度で…。金次郎像やりながら、不勉強でスイマセン。

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