恋のアーケード0024/カンバンの手帖ブログ版0273

2014年05月27日
 アーケードといえば地元では、知立駅から東へ伸びる「中央通り」の歩道アーケードが、いつの間にかなくなっていたうえ、街灯が一新されていました。

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 少し前まではこんな感じ。

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(2013.08.27撮影)

 うーむ、刈谷消え、知立消え、碧海に残るまともなアーケードはついに安城だけになってしまった。
 中央通りの歩道アーケードは、ビニール製の初代が昭和47年に設置され、その数年後に2代目の鉄製に変わったようです(詳細年未調査)。見た目にも老朽化していたので、致し方なし。ほっといたら、いつぞやの豊橋広小路みたいに鳩の糞の重みで屋根が落ちちゃうかもしれないからねえ(→●□)。
 この通り、知立駅が現在地に移転した昭和34年以後に開かれた道で、旧東海道の「銀座通り」(リリオとホテルクラウンパレスの間の道)からメインストリートの地位を奪ったのですが、まさに盛者必衰。近年は店の閉店や移転が目立ち、さらにマンションができて、おまけに風俗店もあったりなんかして「地方都市の商店街の衰退の典型」のような様相を呈しておりました。近年と言っても、僕が知立に移住した10年前にはすでにそういう状態でしたが。
 では、現在今の知立のメインストリートはどこか。それは…ない。

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 ついでにいうと、知立には「駅前通り」という名のストリートも存在しません。実質的に「中央通り」が駅前通りですが、上記のとおり新興のストリートなんで、遠慮して駅前通りとはつけなかったのかも。
 上の写真は、知立駅前交差点角から東を見たもので、右が「中央通り」になります。
 左は、往時は中央通りとダブルメインストリートを形成していた「知立新駅通り」。新駅開業後に商店街化したのでこの名が付きました。こちらにも店が点在していますが、今では商店街と呼べるような体ではありません。なお、私が編集した「西三河今昔写真集」(樹林舎)のP29ページに、新駅通りのアーチがあった頃の写真を掲載しておりますので、ヒマな方は図書館にでも見に行ってみてくださいませ。
 ついでにもこの通りも久しぶりに歩いてみたら、風化したストリート名を記したカンバンを発見。

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 文字が消えないうちに民俗資料館への収蔵を希望。

 ちなみに、知立駅南交差点(ピアゴの北)から三河線と並走して上重原・刈谷駅方面に通じる道も「中央通」といいます(正確には都市計画道路知立中央通線)。この名称は地元ではまったく定着しておらず、コミュニティバスに「中央通バス停」があるので名前が知られている程度。
(まさ)

◎知立におけるストリート名称の件
新駅通三丁目→●□
劇場通り→●□
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