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BARSAN & HINOMI

 岐阜出身の僕は、常に傍観者の立場として愛する三河・遠州を冷静に観察することを心がけておりますが、余所者ゆえ微妙な気質はなかなか分かり得ない部分があります。

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 先日、豊橋市街外縁部の牟呂という地区へ、例によってHINOMIの写真を撮影に行ったとき、HINOMIの下でタマネギの植え付けをしていた地元のBARSANに取材、というか雑談、というかいつの間にか一方的に婆さんの思い出話を聞かされ(そうなるとだいたい戦争の話)、流れで、同じ豊橋でも地区によって気質がずいぶん違う、というような話になりました。
 婆さんはもともと、豊橋南部の丘陵地にある植田の生まれで、戦後、海辺の牟呂に嫁いできました。
 今でこそ大規模区画整理によってただのベッドタウンと化してしまった牟呂ですが、昔は、冬は漁(海苔養殖とアサリ漁)、夏は畑作でガンガンに儲かったという土地。漁師というのはたいがい開放的かつ豪快で、豊漁ならばまとまった現金収入が多いので金遣いも豪快な傾向があるといいます。そんな漁師町の牟呂は、婆さん曰く「荒ぼったい」。
 対する植田は、同様に今ではただのベッドタウンですが、昔は純農村。婆さん曰く、ここの人は自己主張もなく、おとなしい気質だったといいます。農民は種を蒔いてから収穫するまで長い、つまり長期的な見通しを持たねばならないので、おのずと慎重な性格になるんでしょう。
 牟呂と植田は直線でだいたい5キロしかありません。たったこれだけの距離しかないのに気質が違うというのは、豊橋もなかなか奥が深い(ような気がする)。

 ちなみに、かなり差し障りがあるのでどこかは伏せますが、牟呂よりもう少し海に近い某地区は、半農半漁じゃなくてほぼ漁村だったため、荒ぼったさは牟呂の比じゃなかったとか。結局その地区は、昭和40年代の三河港開発に際して莫大な補償金を貰って漁業権を放棄させられたんだけど、荒ぼったいゆえに大金で身を持ち崩した人も多かったといいます。離漁後、住民の何人かは鰻の養殖に手を出して、一時は牟呂の人が羨むくらい儲かったらしいが、それも今やほとんど滅亡状態。
 ある意味、開発の犠牲と言えなくもないですが、まあ、言っちゃなんだが気質が災いしたという面も否定はできません。

 で、その婆さん、植田から牟呂にやって来てはや60年。今やとっくに「荒ぼったい」牟呂気質になっちゃったと、マシンガントークで僕に話します。

「在所に帰って久しぶりに知り合いに会うと、あんた変わったのん、と言われるんだわ。そんでワシが、ほんなん、どこかが変わっただかん、と聞くと、そういうこと聞くこと自体が変わったのん、って。ひゃひゃひゃ」

 間違いなく婆さんの持ちネタ!十八番のネタを持ってる年寄りの話ほど面白いものはない。まあ、たまに意味のないリピートもあるけど。
(まさ)
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コメント

yanz

おもしろい話ですね.
こういう話を聞きだすのは,さすがプロですね.それとも,ずうずうしいのかな(失礼).
こういう話を聞くと,話しかけてみようかなあと思うのですが,やっぱりきっかけがないと掛けづらい.

まさ

 いや~、実際ずうずうしいです。そして僕は歴史本の出版社勤務時代、別名「年寄りキラー」の名を賜ってました。ある意味、年寄り扱いのプロと言えなくもないですけど。
 実はわたくしかなり臆病者で、話しかけるときはけっこう自らテンション上げてかかってます。特に今回の企画はけっこう切羽詰ってて、なんとか地元の人からネタを引っ張り出さないことには締切的にヤバイもんですから…。
 だけどわかったのは、火の見櫓について質問するとまず不審がられないということ。これは意外でした。話しかけるきっかけには好適かも。
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MARUKA-DO

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東海地方を縦横無尽、
全国各地に神出鬼没の
取材・執筆・編集事務所。
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まさ…岐阜・揖斐川町出身
まり…愛知・尾張地方出身
2003~2019愛知県知立市在住
2019~岐阜県揖斐川町在住

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