公文い苦悶

2014年03月20日
 毎度おなじみ、豊橋の春夏秋冬叢書が発行する三遠南信エリアの季刊誌「そう42号」が発売になっております。

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 今回のキーワードは「文」ってことで、嫁(まり)は飯田の特産品である「文七元結」と、蒲郡の橘右太治さんに取材した「寄席文字」を担当。わたくしはいつものように地名と、シソ巻調査(→●□)の続編をやっております。
 文の付く地名ということで、今回取り上げたのは豊橋の牟呂公文町。



 牟呂は古い港町ですが、近年大規模な区画整理事業を行ったため景観が一変しました。牟呂の中心地は柳生川に面した現牟呂市場町。大学生だった20年ほど前には古い銭湯跡も残っててなかなかシブいところだった記憶がうっすらとあります。
 公文は、牟呂の真ん中らへんを占める地域。区画整理前にはたぶん足を踏み入れていません。地内を走る豊鉄バス牟呂循環線には乗った覚えがあるのだが…。

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(公文公民館前に健在のHINOMI→●□

 かつては全域が「牟呂町字××」でしたが、区画整理に伴って町名も整理され、事業が完了したエリアは旧字を踏襲して牟呂公文町・牟呂市場町・牟呂外神町・牟呂大西町・牟呂中村町・牟呂水神町になりました。安易に「牟呂×丁目」としなかったのは、住民の見識の高さゆえかと思います。まだ事業進行中の松島地区や坂津地区も、いずれ旧字名を活かした新町名になるでしょう。なるよね?なってネ!

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 地名は良いのですが、区画整理地帯ゆえ景観的にはなかなか微妙で、写真をどうするかちょっと悩まされました(結果的に火の見櫓を絡めた写真がメインに採用された)。ところどころにこうした畑はあります。

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 史跡もこのような有様。JA牟呂支店の横にある豪族の居館の土塁跡で、「鵜殿兵庫之城跡」と刻まれた小さな石碑が敷地内に建てられています。神社ではないのになぜ立派な鳥居があるのかは不明。

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 階段を登り、鳥居をくぐると、区画整理地帯とは思えない雰囲気(狭いけど)。シブい、シブすぎる!
(まさ)
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東三河雑 | Comments(0) | Trackback(0)
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