尾張大野におけるストリート名称の件

2013年11月14日
 武豊、大垣、安城とストリート系の話題が続きましたが(なんて書くと若者カルチャーの話みたいだけとあくまでマニアカルチャー)、われわれ町並みマニアはどこに行っても通りの名前が気になるものです。
 夏に、知多半島南部のローカル媒体の取材で常滑市の大野をかなりきめ細かく歩いたとき、町の中でこのようなものを発見。

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 軒下のガラスに「木ノ下通」と書かれた廃商店です。おお、大野にもストリート名が存在したのか!
 この廃商店があるのは、大野町駅前を起点に西へと伸びる道沿い。駅から大野海水浴場へ通じる道であり、昔は夏ともなると豊川のB1グランプリ会場なみに大混雑したそうな(オオゲサ)。地元の高齢者に聞くと、昔は確かに木ノ下通りと行っていたが、今ではこの名が使われることはまずないとのこと。人名由来らしいです。
 木ノ下通りはこんな感じの道。

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 シブい、シブすぎる!
 のちに地元の人から古地図を見せてもらったところ、木ノ下通り以外にもこまかい町名やストリート名がけっこうあったことが判明しました。明治と昭和初期の地図では表記に若干の違いが見られるのですが、だいたい下の図のような様相です。

131113-9.jpg ※クリックで拡大します。

 現在は、大野橋を境に北を「橋北」、南を「橋南」と呼んで大雑把に区別し、さらに細かく分けると橋北に橋詰町・高須賀町・権現町が、橋南に十王町・上砂子町・下砂子町・鍛治町があります。これらは大野祭り(→●□)において山車・舟・獅子・神輿などの分担区域に相当し、今でも「生きている」町名といえますが、それ以外はほぼ「消えた地名」ということ…だと思われます。

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 木ノ下通りの裏通りにあたる「後小路」。右は廃銭湯。

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 鍛治町の南に並行する「エゲヤマ」。

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 エゲヤマと鍛治町を結ぶ「寺町」を、斉年寺の脇門から望む。いやもう、実にシブい。
 名前が与えられると、今では単なる裏通りにしか感じられないこのような道も、何か自己主張を始めるなあ、ビバ地名!と思って一人盛り上がったのだが、同行のカメラマン氏にはほとんど理解してもらえなかった。あくまでマニアカルチャーということである。

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 ちなみに上砂子町から十王町にかけてが大野の中心部。なぜ中心かというと、道路元標があるから。ちょうど旧常滑街道と旧黒鍬街道が交わるあたりで、中央左に見える「十王堂」の前に大野町道路元標があります。
 右に看板が見えるように、旧東海銀行の支店があったのもポイントが高い。ただ、支店は無人の出張所に格下げになり、先週大野に行ったら建物も取り壊されちゃってましたが。
(まさ) 
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知多雑 | Comments(4) | Trackback(0)
Comment
この辺りは
嫁さんの実家があるので
良く出掛けますが・・・
隅から隅まで歩いた事がないので

今度出掛けた時に
散策しようと思います

一枚目の画像の廃商店の 眼とはなの先でした(* ̄∇ ̄)ノ
No title
おお。わたくしのネタ元はこの通りの突き当りにある恩波楼さんです。初代が製作した地図に町や通りの名前がこまかく記載されてました。ロビーに展示してあるので、見に行ってみてください。
奥様の御実家でケーブルテレビに加入されているようでしたら、その広報誌「COCONUTS CLUB」の9月号をご覧ください。その地図をドカーンと見開きで載せております。
No title
子供のころ、三枚目の写真の「後小路」に住んでいました。
当時の木ノ下通りは、海水浴の時期は本当にすごい人でしたよ。
かすかに憶えているのは、映画館「大野劇場」に「三橋美智也」
という歌手が実演”にきて恩波楼に泊まったか休憩した時に、
恩波楼の前に見に行ったことです。今は想像もできないけど
大野はすごい町でしたね。

別件ですが、NHKーBSのにっぽん縦断こころ旅で、
今週は福島県からですが
かなり頻繁に火の見櫓が写りこんでいます。
土曜日と日曜日ひるごろに完全版が放送されています。
今日放送されたいわき市に行く途中でもちょっと変わった
火の見が写っていました。日曜日に放送されます。
ご存知かも知れませんがご覧になっては、、と。
(チラッとしか写らないので注意)
この夏、大野海水浴場に初めて泳ぎに行きましたが、往年のにぎわいには遠く及ばないものの意外に人が多くて驚きました。

福島のHINOMIか…。立ち入り禁止区域にもずいぶんあるんだろうなあ…。

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