豊橋のトヨ問題

2013年10月19日
 前回の続きでもう一発、異体字ネタ。
 小池和夫著「異体字の世界 旧字・俗字・略字の漢字百科」(河出文庫)に、豊の異体字(旧字)として「豐」が出てきます。

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 豊の地名といえばわたくしの場合「豊橋」が真っ先に思い浮かびます。愛知県第二の都市であり東三河県庁所在地である豊橋の名が生まれたのはけっこう新しく、明治2年、版籍奉還に際してもとの「吉田藩」を「豊橋藩」に改めさせられたことによります。
 歴史ある吉田を豊橋に変えた理由として「伊予に吉田藩があるので混同しないよう…」という説がありますが、なんでまた四国の田舎のちっぽけな藩(宇和島藩の支藩だった)なんぞに遠慮しなくなちゃならないのか理由がまったくわからないので、おそらくデマ。豊川も元は吉田川なので、川の名前が由来でもない。郷土史家の豊田珍比古(うずひこ)は昭和36年に発刊した「東三河郷土雑話」という郷土史本の中で「二、三の人の思いつきで名づけられたのではあるまいか」と書いています。要はテキトー!?

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テキトーシティのロボット面した市役所

 まあテキトーとはいえ、字面はどっしりしてるしなかなかいい命名じゃないか、というのが東三河フリークであるわたくしの見解でございます。もっともひらがなにしてしまうと「よしだっ子」よりも「とよはしっ子」のほうがなんか笑えるが…。
 大正時代の地図などを見ると、豐橋市を筆頭に豐川町、豐川稲荷、高豐村(豊橋市南部にあった村)と豊の字はことごとく旧字の「豐」になっています。旧字だとなんとなく格調高いというか典雅というか、吾輩は豐橋である(漱石ではなくデーモンのほう)という感じがするのは僕だけ?
 旧字表記のカンバン等はほとんど見た記憶がありませんが、大手通にある豊橋市道路元標は旧字を使っております。

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 拡大すると下のように。

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 画数が多くて彫る人も大変だったのか、上の「山」部分の右側が若干テキトーっぽい。道路元標については当サイトの「ブログ内検索」で検索して、過去記事をご覧ください。
 ところで前述の豊田珍比古は、昭和26年に発刊した「郷土随筆三河百話」の中で、トヨハシのトヨの字について「豊と豐どちらが正しいか」という考察をやっています。長いので要点を箇条書きにしますと、

・市長公印は「豊」なのに署名には「豐」を用いる
・豊橋で「豐」の字を使った文書は過去に見当たらない
・大口(喜六)氏の市長時代に「『豐』が正しいから」と使い始められたと推察
・明治11年の県令の告示では「豊」を使っているので豊が正しい
・今なお(昭和26年当時か)無批判に混用されているが戸籍課では「豊」を使うことにした

 そして「他の課や市民も堅苦しい『豐』を捨て『豊』を使うべきだ」と結論しています。戸籍課で「豊」を使うことにしたのは、昭和21年に当用漢字が制定されたとき、「豊(豐)」と公示に記載することで正字と旧字をはっきり示したからではないかと思われますが…。
 いずれにせよ、市民の間では特に問題にされなかったであろうポイントにツッコミを入れる珍比古翁の姿勢は、郷土史をネタに仕事をしてるマニアライターとしては見習いたいところです。

131019-5.jpg「どうでもいいですよ、おとうさん」

 う~ん、どうもでいい。
 なお豊田珍比古の「東三河郷土雑話」と「郷土随筆三河百話」は、春夏秋冬叢書が2009年に発刊した「東三河郷土雑話」に復刻・併録されてますので、興味のある方や地元が大好きなとよはしっ子の皆さんは、書店や図書館で探してみてネ!(←硬いネタなので軽く終わってみました)
(まさ)

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(2014.01.14追記)
 県営名古屋空港の近くにある豊山村道路元標のトヨは、普通の「豊」でした。

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