HINOMISTは二度死ぬ

2013年06月17日
 かつて自分がどんだけ火の見櫓に興味なかったかというと、残された古い写真からも明らかです。

130516-1_20130617222958.jpg (1991.08.01撮影)

 僕が初めて撮った火の見櫓(半鐘台)の写真。旧作手村白鳥・川合集落のHINOMIで、豊鉄バス川合バス停のすぐ近くにあったもの。今なら脚元まで入れて撮るところだが、早朝の月を一緒に収めて「それっぽい」写真にしたかったらしい。
 なお、この半鐘台は、半鐘が取り外されて鉄骨だけで現存しています。

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(1992.05.01撮影。以下同じ)

 旧津具村下津具地区の、下津具小学校跡付近にあったHINOMI。これも全景は撮っておらず、「下津具村」の名前が入った銘板だけ狙ったという一枚。地名マニアなので…。

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 そして、現在の津具郵便局の少し東あたりから上津具地区の町並を見たもの(当時、津具局は下町交差点近くの県道10号沿いにあった)。ヒノミーをさがせ!「ウォーリーをさがせ」が流行したのって確か92年ごろだったなあ。

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 わからんわ。
(まさ)
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東三河雑 | Comments(2) | Trackback(0)
Comment
No title
東三河のあたりは小型の火の見が多かったようですね。
だから撤去も簡単に出来ちゃってあっという間に無くなっちゃったってことでしょうか。
No title
まあそういうことでしょうね。詳しく調べていませんが津具や作手なんかは自治体規模が小さい分、「予算確保→一斉撤去してホース乾燥塔に建て替え」がしやすかったのではないでしょうか。「人口減少→消防団分団の統廃合→消防車庫・消防施設の集約化」の流れも関係してそうです。

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